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27-6.中国のカリガラスの通説を疑う [27.古代ガラスの源流を探る]

G24前漢カリガラス.jpg中国南西部で多く出土している、前漢・後漢時代のカリガラスについて通説がある。「この種のカリ石灰ガラスは、鉛鉱山の少ない広東・広西・雲南から多量に出土し、河南・江蘇・甘粛などでも出土している。中国で出土するこの系統のガラスにはマグネシアの含有量が1%以下と少なく、カリ硝石と石英とを原料として中国で製造されたものと推定されている。」
(『ガラスの考古学』谷一尚、同成社から引用)。
なお、これらのカリガラスは石灰の成分が、4%以下と少ない事に特徴があり、私は“カリ石灰ガラス”と呼ばないで、
“カリガラス”と呼ぶことにしている。
 

B25中国鉛鉱床.jpg「カリ石灰ガラスは、鉛鉱山の少ない広東・広西・雲南から多量に出土」。
この言葉の裏には、広東・広西・雲南で鉛バリュウムガラスが作られなかったのは、鉛がなかったからだと言いたいのだろう。図G25に中国の鉛・亜鉛鉱床を示す。大きな三角形は大型鉱山。広東・広西・雲南の地区は中国でも鉛鉱床の多い地域であり、広東省広州から250Kmにあるファンコウ鉱山は、全国でも屈指の鉛・亜鉛鉱山である。また、中国の青銅器の銅鼓は、雲南省・広西省・貴州省に多いが、この銅鼓の多くには10%前後の鉛が含まれている。これらからして、広東・広西・雲南は鉛が入手し難い地域ではない。これらの地域でカリガラスが発達した理由は、別にあると考える。 

「中国で出土するカリ石灰ガラスには、マグネシアの含有量が1%以下と少なく、カリ硝石と石英とを原料として中国で製造されたものと推定されている」。下記に中国の戦国・前漢・後漢時代のカリガラス、12個の成分分析値の平均値を示す。また、参考に古代オリエントで作られた2種類の
ソーダ石灰ガラスの成分を示す。
                                               SiO2  Na2O  K2O  CaO  MgO  Al2O3  
          中国カリガラス   76%   0.4%  14%  1.8%  0.6%   3.6%  
                 
ナトロンガラス   70%   18%  0.7%  7.9%  0.6%   2.2%  
          植物灰ソーダG   65%   19%  1.8%  8.1%  4.0%   1.3% 

ガラスの発祥地である古代オリエント(メソポタミア・シリア・エジプト)のソーダ石灰ガラスのアルカリ原料は、海岸近くの植物や砂漠の灌木などの植物灰と、ナトロンと呼ばれる天然ソーダ(
Na2CO3)の鉱石の二種類が使われていた。アルカリ原料にナトロンを使用した時の特徴は、マグネシア(MgO)が1%以下で、植物灰ソーダガラの4%に比べ少ないことだ。中国のカリ石灰ガラスもマグネシアの成分が少ないため、カリ成分の多い植物灰でなく、カリ硝石(硝酸カリウム:KNO3)が使用されたと考えられたのであろう。 
G16前漢ガラス分布.jpg
私はカリガラスの原料にカリ硝石が使われたということに疑問をもっている。それは、中国のカリ硝石の鉱石が産するのは、内陸部の乾燥地帯であり、カリガラスが出土する南西部の湿潤な所では天然では得難い。また、硝酸カリウムの結晶は鶏糞・豚糞などを積んで醗酵させて生成したり、洞窟に堆積したコオモリの糞から採ることが出来るが、それは火薬の原料として用いた7世紀以降のことであり、前漢・後漢に作られたカリガラスの原料には考えられない。 

また、古代から現代において、カリ硝石を原料にしてガラスを製造したのは、17世紀のイギリスだけである。カリ硝石を原料にしてガラスを作るのは、一般的ではないのである。中国南西部で多く出土している、前漢・後漢時代のカリガラスのアルカリ原料は、通説の硝酸カリではないと考える。
 

27-7.中国のカリガラスの謎を解く [27.古代ガラスの源流を探る]

中世のヨーロッパのガラスは、ローマガラスの影響を受け、エジプトで産出されるナトロンを使用した、ソーダ石灰ガラスが作られていた。8世紀の終わりになると、エジプトのナトロンが枯渇して来たこと、ヴァイキングの活動により交易ル-トの破壊がなされたこと、これらが合わさって、ヨーロッパではナトロンを使用したソーダ石灰ガラスが作れなくなった。 

そこで、カリウム成分を多く含む植物(カシ・ブナ・シダ)の灰を使用した、カリ石灰ガラスが製作されるようになった。これがヴァルトガラスである。一方、中世ヨーロッパでは無色・透明なガラス、クリスタルガラスが求められるようになり、不純物を除去するために植物灰の精製が行われた。下記にヴァルトガラスの組成を示す。(「ガラスの文明史」
p308、黒川高明、春風社) 
                                                 SiO2  Na2O   K2O  CaO  MgO  Al2O3 
      ヴァルトガラス (WG)   53%   0.7%   13%  19%   3.8%   2.3%
      (植物灰:ブナ)        6%   1.9%    28%  38%   11%
      植物灰精製WG      74%   0.3%   20%  2.8%  0.2%   2.0%
      中国カリガラス             76%   0.4%   14%  1.8%  0.6%   3.6% 

ヴァルトガラスはシリカと植物灰が1対1の割合で製作されていることがわかる。また、植物灰の精製は、灰を水と混合し煮沸してアルカリ成分を水に溶かせ、その上澄み液を取って、アルカリ成分の結晶が出来るまで蒸発乾燥して作ることで、岩塩から塩を作るのと似ている。
SiO2MgOは全く水に溶けず、CaOは若干融け、Na2OK2Oは良く溶ける。植物灰を精製したヴァルトガラスを見ると、それが現れている。 

G26アジアガラス.jpgこれらの値を見ると、中国のカリガラスは、植物灰を精製したヴァルトガラスに似ており、カリウム成分の多い植物灰を精製して作られていると考えられる。図G26はガラス研究の第一人者であられる、アメリカの
H.Brill氏が「Scientific Research in Early Asian Glass」に掲載したものである。中国の戦国・前漢・後漢時代の遺跡から出土するカリガラスは、古代オリエントでは製作されなかったガラス組成であるが、このカリガラスは中国のみならず、同時代のインドやタイ・ベトナムで出土しており、中国生まれのガラスとは言い切れない。カリガラス
は何処で生れたのであろうか。

27-8.エッチド・カーネリアン [27.古代ガラスの源流を探る]

G27インダス文明.jpg世界四大文明のひとつであるインダス文明(紀元前2600~前1600年)は、インダス川流域(パキスタン)に栄えモヘンジョダロ遺跡やハラッパー遺跡が有名である。このインダス文明の都市遺跡が、インド半島の東側の付根にあるカチャワール半島近くに存在する、ドーラビーラ遺跡とロータル遺跡である。これらの遺跡からカーネリアン(紅玉髄)のビーズの工房が発掘されている。 これらカーネリアンのビーズの表面には、白い線の模様が描かれているのが特徴だ。植物から採取したアルカリでカーネリアンビーズの表面に模様を描き、300~400℃の低温で焼成すると、紅色のカーネリアンに白い文様が定着するそうで、エッチド・カーネリアン(Etched Carnelian)と呼ばれている。 

G28カーネリアン.jpg玉髄とは石英の微小結晶が塊状に集まって出来たもので、層状の縞模様があるものは瑪瑙(メノウ)と呼ばれている。ドーラビーラ遺跡とロータル遺跡の近くからは、玉髄と瑪瑙が産出する。一方、これらの遺跡はインド砂漠の端にあり、海岸に近い所は塩田もある湿地帯である。このような場所に生える塩生植物の灰には、酸化ナトリウム(
Na2O)が多く含まれ、その灰汁(あく)を煮詰めれば、玉髄を腐食する強いアルカリ液が出来る。エッチド・カーネリアンの登場には、石英と強アルカリ液(ソーダ灰の原料)、すなわちガラスの原料が関わっていたのである。 

インダス文明の地で作られたエッチド・カーネリアンは交易品として、メソポタミアまで運ばれている。メソポタミアのウル王墓(紀元前2100年)から多数出土している。メソポタミアで紀元前2500年頃に、植物灰からソーダ石灰ガラスが作られたのが、ガラスの起源とされているが、エッチド・カーネリアンの技術が関わったのかも知れない。インダス文明の地からはガラスが出土していないので、ガラスの製法がインドからメソポタミアに伝わったのではない。

27-9.カリガラスはタイランドで誕生 [27.古代ガラスの源流を探る]

G29東アジアEC.jpgエッチド・カーネリアンは東南アジアの諸国、ミャンマー・タイ・ベトナム・中国雲南省などからも出土している。図G29にそれらの遺跡を示す。この図は東南アジア諸国のすべてのデータを網羅しているとは限らないが、タイのエッチド・カーネリアンの出土が際立っている。その中でも、タイ中西部のカンチャナブリ県にあるバンドンタペット(Ban Don Ta Phet)遺跡からは、色々の形や模様をした約50個のエッチド・カーネリアンビーズ出土している。これらにはインドには存在しない形や模様があり、バンドンタペットあるいは東南アジアで製作されたものではないかと考えられるようになって来ている。 

G30タイガラス.jpg図G30は古代のガラスが出土したタイの遺跡で、No3がバンイェン遺跡、No22がバンドンタペット遺跡である。これらの遺跡が35か所もあることは驚きであるが、注目すべきはエッチド・カーネリアンが出土しているタイの多くの遺跡から、ガラスビーズが出土していることだ。その一つの遺跡であるバンドンタペットからも、3000個の色々な色のガラスビーズが出土している。バンドンタペットの年代については、ガラスビーズと青銅器や鉄器が共に出土しており、当初鉄器時代の後半の紀元前50年から紀元後250年と考えられていた。それはガラスビーズが、インドの南東部にあるローマ帝国(紀元前27~後395年)と交易のあった遺跡、アルカメドゥ(
arikamedu)から来たと考えられていたからだ。 


G31arukamedu.jpgしかしながら、バンドンタペットの土器から採取した有機物5点の放射性炭素(C14)を年代測定した結果、紀元前390~前360年という値が出て来たことから、バンドンタペットでのガラス作りが、アルカメドゥより古いのではないかとの意見も出て来ている。アルカメドゥとバンドンタペットの両者には、オリエントガラスやローマガラスにはないカリガラスがある。カリガラスと言う事にかぎって言えば、ローマを抜きにして考えなければならない。タイでカリガラスが誕生したと、私は考えている。

27-10.バンチェンの彩文土器 [27.古代ガラスの源流を探る]

バンチェン遺跡で有名なのが彩文土器である。現在でも工芸品として、昔と全く変わらない製法でバンチェン土器のコピーが製作されている。陶芸家の大石訓義氏は、バンチェン村で4ヶ月に渡り、タイの王妃の前で土器造りの技を披露したという名人に弟子入りしたそうだ。大石氏はその技法を紹介しているが、その中に非常に興味ある事が書かれていた。 

G32バンチェン彩文土器.jpgそれは、粘土に練り込まれるシャモット(素焼きした粘土を粉末にしたもの)と呼ばれる骨材のことだ。日本でも土器には骨材が入れられるが、一般的には石が多い、中にはシャモットが使われる場合もあるが、それは土器を砕いて粉にしたものである。バンチェンのシャモットは非常に変わっている。地面に穴を掘り、その中にドロドロに溶いた粘土を半分ほど入れ、籾殻を入れて満杯にしてよく混ぜ合わせる。地面が水分を吸い乾いてくるので、砲丸球位の大きさの玉を作り乾燥させる。それを野焼きすると、籾殻が灰になりスポンジ状の素焼物が出来る。それを砕いてシャモットとして使用するそうだ。
 

下記に籾殻灰と粘土の成分を示す。籾殻灰の成分で粘土より増加するものは、
SiO2K2OCaOであり、これはまさにガラスの成分で、シャモットが土器の焼成を促進させる働きをしていると考える。古代の人の知恵は、科学的に見ても合理的である。
                                SiO2  Na2O    K2O   CaO   MgO    Al2O3
        籾殻灰  91%   0.2%   3.7%  3.2%  0.01%   0.8%
               粘土   75%   0.4%   1.1%  0.3%  0.7%      16%
 
バンチェン遺跡から出土した土器の、時代別の成分分析値を見ると、先史時代は粘土成分に近いが、青銅器時代から
K2OCaOの値が増加していることが分かる。これは青銅器時代から籾殻灰のシャモットを使用していた証拠であると考える。
                                  SiO2  Na2O  K2O   CaO   MgO  Al2O3
        先史時代    58%   0.1%   1.3%  0.7%  0.7%    18%
        青銅時代    56%   0.3%   2.5%  1.8%  0.6%    16%
        鉄器時代    67%   0.3%   2.6%  1.1%  0.4%    14%

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