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27-8.エッチド・カーネリアン [27.古代ガラスの源流を探る]

G27インダス文明.jpg世界四大文明のひとつであるインダス文明(紀元前2600~前1600年)は、インダス川流域(パキスタン)に栄えモヘンジョダロ遺跡やハラッパー遺跡が有名である。このインダス文明の都市遺跡が、インド半島の東側の付根にあるカチャワール半島近くに存在する、ドーラビーラ遺跡とロータル遺跡である。これらの遺跡からカーネリアン(紅玉髄)のビーズの工房が発掘されている。 これらカーネリアンのビーズの表面には、白い線の模様が描かれているのが特徴だ。植物から採取したアルカリでカーネリアンビーズの表面に模様を描き、300~400℃の低温で焼成すると、紅色のカーネリアンに白い文様が定着するそうで、エッチド・カーネリアン(Etched Carnelian)と呼ばれている。 

G28カーネリアン.jpg玉髄とは石英の微小結晶が塊状に集まって出来たもので、層状の縞模様があるものは瑪瑙(メノウ)と呼ばれている。ドーラビーラ遺跡とロータル遺跡の近くからは、玉髄と瑪瑙が産出する。一方、これらの遺跡はインド砂漠の端にあり、海岸に近い所は塩田もある湿地帯である。このような場所に生える塩生植物の灰には、酸化ナトリウム(
Na2O)が多く含まれ、その灰汁(あく)を煮詰めれば、玉髄を腐食する強いアルカリ液が出来る。エッチド・カーネリアンの登場には、石英と強アルカリ液(ソーダ灰の原料)、すなわちガラスの原料が関わっていたのである。 

インダス文明の地で作られたエッチド・カーネリアンは交易品として、メソポタミアまで運ばれている。メソポタミアのウル王墓(紀元前2100年)から多数出土している。メソポタミアで紀元前2500年頃に、植物灰からソーダ石灰ガラスが作られたのが、ガラスの起源とされているが、エッチド・カーネリアンの技術が関わったのかも知れない。インダス文明の地からはガラスが出土していないので、ガラスの製法がインドからメソポタミアに伝わったのではない。

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