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27-11.バンチェンがカリガラスの起源地 [27.古代ガラスの源流を探る]

G33バンチェンビ^ズ.jpgタイ東北部のウドンタニ県にあるバンチェン遺跡は、「24.ジャポニカ一万年の旅」で、もち米の起源地であると紹介した所である。バンチェン遺跡からは、エッチド・カーネリアンとガラスのビーズが出土している。バンチェン遺跡から出土するビーズは濃紺でそろばん玉の形をしている特徴がある。ただ、バンチェン遺跡から出土したガラスビーズの多くが盗掘品であり、青銅器時代(紀元
前900~前300年)か、その上層の鉄器時代(紀元
前300~後200年)なのか明確にされていない。バンチェンのガラスビーズの成分はカリガラスである。
 

G34バンチェンガラス.jpgバンチェン土器の焼成には稲藁が使われている。藁灰の灰汁(あく)を煮詰めると強アルカリ(
KOH)の液が出来る。この濃縮液で、玉髄に模様を描きエッチド・カーネリアンを作ったのであろう。バンチェン土器の骨材である籾殻灰が入ったシャモット、土器の焼成に使用した稲藁の灰、そしてエッチド・カーネリアンの模様を描くための稲藁灰から抽出した濃縮した灰汁、これら三者からカリガラスが生れたと考える。 

バンチェンの人々は、近くで採れる岩塩を水に溶かし、濃縮して塩を精製する技術を持っていたし、青銅器を製作していたので、ガラス原料を溶融させるに必要な1000℃以上の温度に坩堝を加熱する技術をも持っていた。バンチェンにはカリガラスを発明するための、材料と技術があったのである。下記には藁倍・籾殻灰・粘土が同量
,灰汁が2倍混じった時の組成を示す。バンチェンのガラスビーズの分析値は1個のみの値であり、信頼性は低いが、稲藁灰・灰汁・籾殻灰・粘土で出来る成分と近いことが分かる。
                                               SiO2  Na2O   K2O   CaO   MgO  Al2O3
                     藁灰  ①    75%   1.0%   12%  3.1%   1.8%   1.0%
          灰汁  ②       0%   1.0%   12%     0%      0%      0%
          籾殻灰 ③     91%   0.2%  3.7%  3.2% 0.01%   0.8%
          粘土        ④    75%   0.4%  1.1%  0.3%   0.7%    16%
         ①+x2++④    77%   1.2%   13%  2.1%   0.8%   5.7%
         バンチェンガラス 76%   1.2%   13%   0.3%     0%    3.7%
 
稲藁や籾殻に含まれているシリカ成分は、非常に細かなプラント・オパールであり、そのような物でガラスが出来るのであろうか。現在、高校の科学部ではプラント・オパールからガラスを作る実験が行われている。甲南高校では、籾殻灰に炭酸ナトリウムとほう酸ナトリウムを加えてガラスを作っている。着色剤を加えなくても、不純物の影響で、ガラスは深緑・黒色・薄ピンク等の色になったそうだ。東京都立科学技術高等学校では、ススキ(イネ科)の葉っぱからガラスを作っている。
 

稲藁や籾殻を使用して、カリガラスが出来るのである。カリガラスの発見は、バンチェン土器の骨材である籾殻灰が入ったシャモットに、エッチド・カーネリアンの模様を描くための稲藁灰から抽出した濃縮した灰汁が掛かり、それが加熱されて偶然出来たのかも知れない。カリガラスの発見がどのような形であったかは定かではないが、バンチェンの人々の身近な材料から出来たことは確かである。
 

27-12.稲作とカリガラス [27.古代ガラスの源流を探る]

カリガラスの発見がなされた後、籾殻灰の入ったシャモットの代りに、石英の砂が使われるようになったと考える。下記には稲藁灰と石英砂が同量、灰汁が2倍として計算した。なお石英砂には不純物として長石が混ざりアルミナ(Al2O3)が3%混入していると仮定した。その値とバンドンタペットのビーズ(n=13)、中国カリガラス(n=12)の成分と比較した。
                                                SiO2  Na2O  K2O  CaO  MgO   Al2O3
      藁灰+灰汁x2+砂        78%   1.4 %  16%  1.4%  0.8%  1.8%
      バンドンタペットG  73%   0.7%  17%  3.5%  0.5%   1.1%
      中国カリガラス            76%   0.4%  14%  1.8%  0.6%   3.6%

 タイのバンドンタペットと中国のカリガラスの成分は、稲藁灰・灰汁・砂(石英)を原料にして作られたと考える。そのレシピ?を考えてみた、「稲藁灰を甕に入れ掻き混ぜながら加熱し、アルカリ成分を抽出する。浮遊物を除去し、上澄み液(灰汁)を別の甕に取る。稲藁灰と細かく砕いた砂(石英)を灰汁の入った甕にいれ、浮遊物を除去しながら加熱し、灰に湿り気が残る程度まで蒸発乾固させる。冷却後、それらから団子を作り、十分乾燥させた後、野焼き(800℃)で焼成する。それを粉砕し粉(フリット)にして、坩堝に入れて1000℃以上に加熱し、溶解したら鋳型に鋳込む」。このレシピでどんなガラスが出来るのだろうか。高校の科学部の実験テーマとしては面白いと思う。ただし、強アルカリなので皮膚と目の防御が必要だ。 
B92 インディカ伝播.jpg
古代人は意外と簡単にガラスを作ったと思う。ガラスが手く出来るポイントは、石英とアルカリ成分がよく混じり合うためのフリットを作ることにある。バンチェン土器のシャモット作りのノウハウが、カリガラスを発明したのである。カリガラスの製法はバンチェンからタイ中部のバンドンタペット等へ、そしてタイ南部に広がって行った。それは錫の鉱床と銅鼓の分布と類似している。また中国の雲南を通じて戦国時代の中国南西部に、またミャンマー(ビルマ)を通じてインドへと伝わったと考える。それはインデカの伝播ルートと重なって見える。
 

現代の米作りでは、一反の水田から10俵(600kg)の玄米と、稲藁678kgが取れる。古代において、一反に植える稲株は1/3で、一つの稲株に実る籾は1/3であったと仮定すると、古代の一反の水田から67kgの玄米と稲藁226kgが取れる。稲藁の灰分が18
.7%、なので、稲藁灰は42kg取れる。その2/3からアルカリ成分を抽出すると、カリガラス約28kg(稲藁灰14kgと砂14kg)の原料が出来る。前漢の広西省合浦市出土の盤(口径12.7cm、高さ2cm)の重量は約200グラム。この盤1枚を作るためには、約3坪の水田があれば十分である。 古代において稲作を行っている所では、そのノウハウさえ伝われば、稲藁を原料として、カリガラスを製作することが可能であったと言える。


28-1.中国のガラスの起源を考える [28.中国・韓国の古代ガラス]

古代ガラスの種類はソーダガラス(SiO2-Na2O)、カリガラス(SiO2-K2O)、鉛ガラス(SiO2-PbO)に分類することが出来る。シリカ(石英:SiO2)の融点は1650℃であるが、融剤(Na2OK2OPbO)を混ぜると、シリカが融け始める温度が800℃以下になる。これらの原理を4500年前のメソポタミアの人は発見していたのである。 

中国では戦国時代の遺跡から鉛バリウムガラスが出土するが、この種のガラスはオリエントでは作られてなく、中国独自で発展したガラスである。しかしながら、それはメソポタミアでガラスが始現した時と違って、
ガラスそのものの存在は、現物の伝来によって知見があったと考える。オリエントから中国にガラスが伝来した時、ガラスの製造技術まで伝来したのではないだろう。ただ、「白い石を溶かして作った」というくらいの話は伝わっていたであろう。戦国時代にガラスを初めて見た楚国あるいは周国の王は、青銅器を製作していた工人にガラスの製作を命じたと考える。 

G17石英.jpgそれらの工人は、まず石英・水晶を加熱して見た。そして、それらが溶けないと分かると、手当たり次第に白色や透明でガラス光沢のある鉱石を加熱して見たに違いない。その中で、白鉛鉱は溶融したがガラスではなかった。(白鉛鉱は
PbCO3で加熱すると分解してPbOとなり890℃で溶融する)これらの作業の中から石英と白鉛鉱、両者の粉を混ぜて加熱すると、透明のガラスが出来る事を発見したと推測する。白鉛鉱の結晶はガラスの輝きのある白色、白鉛鉱に辿りつくまでに時間は余りかからなかったのであろう。初めに出来たのは、鉛ガラスであったと考える。 

G18白鉛鉱.jpg後漢王充の『論衡』には「随公薬を以て珠を作る・・・・道人五石を消爍して五色の珠を作る」とある。「爍」には溶かすという意味があり、「石を消爍」とは、「石が溶けて消えガラスになる」ことを示している。「随公」とは「27
-3.中国の古代ガラス珠」で述べた、夥しい青銅器が出土した曽候乙墓に葬られた戦国時代の楚国の人物である。曽候乙墓から出土したトンボ玉のほとんどはソーダ石灰ガラス珠であるが、鉛バリウムのガラス珠も混じっている。青銅器が鋳造出来る技術がある中国では「白い石を溶
かして作った」との情報があれば、ガラスを作ることが出来たのである。
 

G19トンボ玉.jpgンボ玉を作るためにはガラスに着色する技術、ガラス玉を作る技術、模様付けをする技術などが必要となってくる。これらの技術を独自で習得出来たのは、中国には春秋時代から陶器の釉薬の技術があり、戦国時代の初めには、眼玉模様のファイアンス珠が出来きるまで進歩していたためであろう。
 

1929年頃、中国河南省でキリストの司教をしていた考
古学者のホワイトは、市場に出回っていたトンボ玉が洛陽の戦国時代の周の古城址金村から出土していることを突き止めた。そこで、イギリスの学者セリグマン氏に分析を依頼し、中国のトンボ玉のガラス組成には、中国独自の鉛バリウムガラスのものがあることを発見した。表G20トンボ玉分析.jpgG19はその分析結果である。資料No2はオリエントのソーダ石灰ガラス、No6が鉛ガラス、No1が鉛バリウムガラスである。No3・4・5は、鉛の少ない鉛バリウム系ガラスで、溶融温度を下げるためにアルカリ成分を入れたのであ
ろう。初めに出来たのは鉛ガラスであったと考えても
おか
しくない。

28-2.鉛バリウムガラスの通説を斬る [28.中国・韓国の古代ガラス]

中国独自で開発・発展したガラスが、鉛ガラスで無く鉛バリウムガラスであったことは、誰しも不思議に感じる所である。中国の古代ガラスを書いた本には、鉛バリウムガラスの起源について「鉛バリウムガラスの製造中心地とされる湖南省や河南省には、鉛鉱石とバリウム鉱石が共存しており、この地域の鉱石を原料に用いたため」という通説が書かれている。果たして、この通説は真実を語っているのだろうか。 

G21方鉛鉱.jpg一般的な鉛の鉱石は方鉛鉱(
PbS)である。日本の飛鳥池ガラス工房遺跡で方鉛鉱が出土しているように、鉛ガラスの材料として方鉛鉱が使われている。また、方鉛鉱と共存しているバリウムの一般的な鉱石は重晶石(BaSO4)である。この共存は湖南省や河南省に限ったことではない。方鉛鉱の色調は灰黒色であり、重晶石は白色・黄色である。二つの鉱石は明らかに色調が違い見分けることが出来るので、両者を分離することは出来ていたと考える。それが証拠に、中国の古代の青銅器には鉛を含有するが、バリウムは含有していない。 


G22重晶石.jpgまた、科学的に見ても、方鉛鉱(
PbS)からガラス材料の酸化鉛(PbO)を作るには、方鉛鉱と木炭の粉末を混合し、600~800℃に加熱して金属鉛を作り、その後金属鉛を600℃に加熱して、長時間かけて酸化鉛にしなければならない。同じ処理を重晶石(BaSO4)に行うと、重晶石は硫化バリウム(BaS)になるだけで、鉛バリウムガラスの原料である酸化バリウム(BaO)にはならない。方鉛鉱と重晶石からは、鉛バリウムガラスは出来ないのである。 


G18白鉛鉱.jpg前回の「中国のガラスの起源を考える」で述べたように、中国で最初に出来たガラスは、石英と白鉛鉱から出来る鉛ガラスと考える。この鉛ガラスの製作過程のなかで、白鉛鉱と共存し、同じ白色・黄色の毒重石が混入して鉛バリウムガラスが出来たと考える。白鉛鉱(
PbCO3)と毒重石(BaCO3)は、加熱すると分解して、ガラス原料の酸化鉛(PbO)と酸化バリウム(BaO)となる。なお、毒重石は読んで字のごとく、経口摂取すると胃酸に溶けて有毒となる。 


G23毒重石.jpg石英・白鉛鉱と毒重石を砕いて混合し1000℃以上に加熱すると鉛バリウムガラスが出来る。鉛ガラスの鉛をバリウムに置き換えると、溶融温度が上がりガラスの製造が難しくなる。一方ガラスの屈折率や硬度が上がるので品質が向上する。古代人は白鉛鉱と毒重石、また重晶石の見分け方を習得して、重晶石は除き、そして白鉛鉱と毒重石の配分を、ある程度は調整したと考える。
 

鉛バリウムガラスの起源の通説、「鉛バリウムガラスの製造中心地とされる湖南省や河南省には、鉛鉱石とバリウム鉱石が共存しており、この地域の鉱石を原料に用いたため」は、その鉛鉱石を白鉛鉱に、バリウム鉱石を毒重石とした時に、成り立つ話であった。ただし、白鉛鉱と毒重石の産出量は、方鉛鉱と重晶石に比較してはるかに少ない。
 

後漢時代の『周易参同契』には、「胡粉投火中、色壊還為鉛」とある。「胡粉」は、白色化粧品の「鉛白」のことで、塩基性炭酸鉛(
PbCO3Pb(OH)2)である。しかし、塩基性炭酸鉛が鉛と酢から作られるようになったのは、唐・宋以降のことであり、それまでの「胡粉」は白鉛鉱を粉にした炭酸鉛(PbCO3)であった。「胡粉投火中、色壊還為鉛」は、「白鉛鉱の粉を火中に投ずれば、白色の色が壊れて鉛になる」であると解釈出来る。 

後漢時代までは青銅器の原料には方鉛鉱、ガラスの原料は白鉛鉱としていたものが、後漢時代になって、白鉛鉱と方鉛鉱が同じ鉛であることを知り、方鉛鉱から酸化鉛を作りガラスの原料としたのであろう。だから、後漢時代には鉛を多量に使った屈折率の良い“高鉛ガラス”が登場し、鉛バリウムガラスが廃れていっている。

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