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28-2.鉛バリウムガラスの通説を斬る [28.中国・韓国の古代ガラス]

中国独自で開発・発展したガラスが、鉛ガラスで無く鉛バリウムガラスであったことは、誰しも不思議に感じる所である。中国の古代ガラスを書いた本には、鉛バリウムガラスの起源について「鉛バリウムガラスの製造中心地とされる湖南省や河南省には、鉛鉱石とバリウム鉱石が共存しており、この地域の鉱石を原料に用いたため」という通説が書かれている。果たして、この通説は真実を語っているのだろうか。 

G21方鉛鉱.jpg一般的な鉛の鉱石は方鉛鉱(
PbS)である。日本の飛鳥池ガラス工房遺跡で方鉛鉱が出土しているように、鉛ガラスの材料として方鉛鉱が使われている。また、方鉛鉱と共存しているバリウムの一般的な鉱石は重晶石(BaSO4)である。この共存は湖南省や河南省に限ったことではない。方鉛鉱の色調は灰黒色であり、重晶石は白色・黄色である。二つの鉱石は明らかに色調が違い見分けることが出来るので、両者を分離することは出来ていたと考える。それが証拠に、中国の古代の青銅器には鉛を含有するが、バリウムは含有していない。 


G22重晶石.jpgまた、科学的に見ても、方鉛鉱(
PbS)からガラス材料の酸化鉛(PbO)を作るには、方鉛鉱と木炭の粉末を混合し、600~800℃に加熱して金属鉛を作り、その後金属鉛を600℃に加熱して、長時間かけて酸化鉛にしなければならない。同じ処理を重晶石(BaSO4)に行うと、重晶石は硫化バリウム(BaS)になるだけで、鉛バリウムガラスの原料である酸化バリウム(BaO)にはならない。方鉛鉱と重晶石からは、鉛バリウムガラスは出来ないのである。 


G18白鉛鉱.jpg前回の「中国のガラスの起源を考える」で述べたように、中国で最初に出来たガラスは、石英と白鉛鉱から出来る鉛ガラスと考える。この鉛ガラスの製作過程のなかで、白鉛鉱と共存し、同じ白色・黄色の毒重石が混入して鉛バリウムガラスが出来たと考える。白鉛鉱(
PbCO3)と毒重石(BaCO3)は、加熱すると分解して、ガラス原料の酸化鉛(PbO)と酸化バリウム(BaO)となる。なお、毒重石は読んで字のごとく、経口摂取すると胃酸に溶けて有毒となる。 


G23毒重石.jpg石英・白鉛鉱と毒重石を砕いて混合し1000℃以上に加熱すると鉛バリウムガラスが出来る。鉛ガラスの鉛をバリウムに置き換えると、溶融温度が上がりガラスの製造が難しくなる。一方ガラスの屈折率や硬度が上がるので品質が向上する。古代人は白鉛鉱と毒重石、また重晶石の見分け方を習得して、重晶石は除き、そして白鉛鉱と毒重石の配分を、ある程度は調整したと考える。
 

鉛バリウムガラスの起源の通説、「鉛バリウムガラスの製造中心地とされる湖南省や河南省には、鉛鉱石とバリウム鉱石が共存しており、この地域の鉱石を原料に用いたため」は、その鉛鉱石を白鉛鉱に、バリウム鉱石を毒重石とした時に、成り立つ話であった。ただし、白鉛鉱と毒重石の産出量は、方鉛鉱と重晶石に比較してはるかに少ない。
 

後漢時代の『周易参同契』には、「胡粉投火中、色壊還為鉛」とある。「胡粉」は、白色化粧品の「鉛白」のことで、塩基性炭酸鉛(
PbCO3Pb(OH)2)である。しかし、塩基性炭酸鉛が鉛と酢から作られるようになったのは、唐・宋以降のことであり、それまでの「胡粉」は白鉛鉱を粉にした炭酸鉛(PbCO3)であった。「胡粉投火中、色壊還為鉛」は、「白鉛鉱の粉を火中に投ずれば、白色の色が壊れて鉛になる」であると解釈出来る。 

後漢時代までは青銅器の原料には方鉛鉱、ガラスの原料は白鉛鉱としていたものが、後漢時代になって、白鉛鉱と方鉛鉱が同じ鉛であることを知り、方鉛鉱から酸化鉛を作りガラスの原料としたのであろう。だから、後漢時代には鉛を多量に使った屈折率の良い“高鉛ガラス”が登場し、鉛バリウムガラスが廃れていっている。

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