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72-8.『古事記』も900年歴史を延長していた [72.『古事記』と『日本書紀』の編年を合体]

私は25年前に『日本書紀』が歴史を900年延長していることを発見し、「紀縮900年表」を作成している。その延長の900年は、神武天皇で69年、欠史8代の天皇で484年、崇神天皇から雄略天皇で340年、継体天皇で7年であった。『古事記』にも欠史8代の天皇(2代綏靖天皇~9代開花天皇)の記事が記載されている。これからすると、『古事記』も歴史を延長していると考えられる。

 

崇神天皇から雄略天皇において、『古事記』には在位年数の記載がなく、編年の分かるのは天皇崩御の干支だけである。通説では前後の天皇の崩御干支の間は干支一廻り以内としているが、『古事記』の編年は崩御干支に影響が無いように、干支一廻り60年の単位で歴史を延長しているかも知れない。もし、そのような延長がなされていたとするならば、その延長の痕跡が天皇の年齢に残されていると考える。天皇の年齢が90歳以上の場合、『古事記』は歴史を干支一廻り60年、あるいは二廻り120年延長していると考える。崇神天皇から雄略天皇において、90歳以上の天皇は6名(崇神・垂仁・景行・成務・応神・雄略)である。崇神天皇は年齢168歳で120年の延長、後の5名天皇は60年の延長、合計420年歴史を延長していると思う。

 

欠史8代の天皇(2代綏靖天皇~9代開花天皇)は歴史を延長するために創作された天皇であると考える。欠史8代の天皇では90歳以上の天皇が3名(5代孝昭天皇93歳、6代孝安天皇123歳、7代孝霊天皇106歳)いる。これらの天皇ではそれぞれ60年、合計で180年延長されている。また、8代の天皇の在位年数合計も延長された年数である。欠史8代の天皇においては、年齢は全ての天皇に記載されているが、崩御干支は誰一人として記載がなく、在位年数を知る手がかりは年齢だけである。天皇ごとの在位年数は分からないが、欠史8代の在位年数の合計ならば、年齢から算出できる方法を考えた。

Z447.欠史八代在位 ①.png

 

8代の天皇の系譜(前天皇との関係)は全て父子であり、それも2代綏靖天皇が第3子以外は第1子と第2子である。「次の天皇となる皇子は、天皇が即位した年に生まれた」と仮定したのが表Z447である。表の黄色の期間が求める欠史8代天皇の在位年数合計であり、下記の公式が成り立ち、欠史8代の在位年数の合計は201年であることが分る。

欠史8代在位年数合計=([2代綏靖~10代崇神]年齢合計

―(2代綏靖皇子年齢+10代崇神天皇在位年数))/

      ≒([2代綏靖~10代崇神]年齢合計

        ―(2代綏靖年齢+10代崇神年齢)/)/

      ≒(449-(45+48)/2)/2=201

 

Z448.欠史八代在位 ②.png

欠史8代の在位年数の合計は、天皇誕生時の父(前天皇)年齢(n)からも計算できる。表Z448に示すように、欠史8代天皇の在位年数合計は下記の公式が成り立つ。

欠史8代在位年数合計=9代開花年齢―1代神武年齢
(n1~n8)合計

(n1~n8)の平均をNとすると

欠史8代在位年数合計=9代開花年齢―1代神武年齢+8N

=63-47+8x26=224

 

9代開花天皇の年齢は63歳、初代の神武天皇の年齢は137歳であるが90年延長されているとして47歳とした。平均天皇誕生時父年齢Nは不明であるが、前章の「記紀年表」で前天皇と父子関係にある天皇(垂仁・景行・成務・応神・仁徳・履中・安康)の平均天皇誕生時父年齢Nは26歳であった。この値を代用すると欠史8代在位年数合計は224年となった。「次の天皇となる皇子は、天皇が即位した年に生まれた」と仮定して計算した201年と大きく変わらない。欠史8代在位年数合計は両者の平均として210年とする。

 

『古事記』が歴史を延長している年数は、崇神天皇から雄略天皇が420年(年齢)で、欠史8代が180年(年齢)と210年(在位)、そして神武天皇については、初代の天皇は崩御干支に影響を与えないので年齢の延長がそのままの歴史延長に繋がるとして90年(年齢)とした。『古事記』が歴史を延長している合計が900年となった。私は『書紀』が900年歴史を延長していることを発見したが、『古事記』もまた900年歴史を延長していた。


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