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62-4.『金光明最勝王経』は粟田真人が持ち帰った [62.仏教が伝来したのはいつか?]

『日本書紀』の欽明13年の仏教伝来の記事が、後世の捏造であるとされ信頼されないのは、仏を広く礼拝する功徳をのべた文章が、当時存在していなかった『金光明最勝王経』(唐の義浄が長安3年、703年に漢訳)をもとに記述されているからである。『書紀』の仏教伝来の記事が、『金光明最勝王経』をもとに記述されていることは、明治時代から明らかにされている。大正14年に「欽明紀の仏教伝来の記事について」を発表した藤井顕孝氏は、『金光明最勝王経』が日本へ伝来した機会は3回あるとした。

 1)慶雲元年(704年)7月、遣唐使執節使粟田真人の帰国

  2)慶雲4年(707年)5月、学問僧義法・義基等が新羅より帰国

  3)養老2年(718年)12月、道慈が遣唐使とともに帰国

井上薫氏はこれら一つ一つを吟味して、昭和18年に発表した「日本書紀仏教伝来記載考」で、義浄が漢訳した『金光明最勝王経』を日本にもたらしたのは、養老2年(718年)12月に遣唐使船で帰国した道慈であると唱え、それ以後この説が定説化され、『書紀』の仏教関係の記事の述作に道慈が関わったと考えられるようになった。

 

近年「道慈と『日本書紀』」の論文を発表した皆川完一氏は、道慈が『金光明最勝王経』を日本にもたらしたという直接的史料はなく、状況証拠による推論である。大宝律令制定以後は、政務に関わるには官人でなければならず、僧侶の道慈が政務の一環である『書紀』の編纂に参画するようなことはありうるはずはないと述べている。そして、『金光明最勝王経』その他の仏典を用いて『書紀』の文を述作した人物は、かつて僧侶として仏典を学び、後に還俗した人であるとして、粟田真人と山田史御方をあげ、山田史御方を一押している。

 

山田史御方は学問僧として新羅に留学していたが、『金光明最勝王経』に関係あるのだろうか。『三国史記』新羅本紀によると、聖徳王2年(703年)に、日本国から総勢204人の使者が来た。同3年(704年)3月、入唐していた金思譲が帰国し『金光明最勝王経』を献上したとある。続日本紀にも703年の遣新羅使のことは記載されており、この一行に山田史御方が居たとすれば、帰国は学問僧義法・義基等と同じ慶雲4年(707年)5月となり、『金光明最勝王経』を写経し、新羅より持ち帰ったことの可能性は十分ある。しかし、『続日本紀』の慶雲4年(707年)4月に、「賜正六位下山田史御方布鍬塩穀。優學士也。」とあり、慶雲4年(707年)5月に帰国した船には、乗船していなかったことが分かる。山田史御方は『金光明最勝王経』を新羅より持ち帰ってはいないと考える。

 

粟田真人は白雉4年(653年)の遣唐使船に留学僧として随行し、唐で学問を修めた。帰国後、還俗して朝廷に仕え、天武天皇10年(681年)小錦下の位を授かっている。大宝2年(702年)6月に遣唐使執節使として出国し、10月には唐の朝廷に宝物を献じている。この船に、道慈も乗船していた。『宋史』日本伝には、「粟田真人を遣わし、唐に入り書籍を求めしめ、律師道慈に経を求めしむ」とある。粟田真人・道慈が唐に到着した翌年の長安3年(703年)10月に、義浄が『金光明最勝王経』を完成している。

 

『書紀』には、宮中や諸寺で『金光明経』を読むことが、天武朝で2回、持統朝で4回行われたと記載してある。『続日本紀』には、大宝3年(703年)7月に、「四大寺に金光明経を読む令」が発せられている。『金光明経』は「護国経典」として尊重され、経典を宮中や諸寺で読むことが行われていた。粟田真人は朝廷の中枢にいて、「護国経典」としての『金光明経』を理解していたと思われる。なお、これらの『金光明経』は、曇無讖が421年頃漢訳した経典であろう。

 

粟田真人は遣唐使執節使として書籍を持ち帰る任務を持っていたこと、過去に遣唐使船に留学僧として随行し唐で学問を修め、帰国後還俗して朝廷に仕えていたこと、宮中で曇無讖が漢訳した『金光明経』を読み合わせていたことを考えると、『金光明最勝王経』が義浄により漢訳されたという情報を長安において得たならば、その経典を持ち帰ろうとしたのは当然のことである。703年10月に完成した『金光明最勝王経』を、新羅の金思譲が704年3月に新羅に持ち帰っていることからすると、702年10月から長安にいて、704年7月に帰国した粟田真人が『金光明最勝王経』を持ち帰ることは可能である。粟田真人が『金光明最勝王経』を日本に持帰ったと考える。

 


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