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61-10.叡福寺古墳は孝徳天皇陵 [61.後期古墳・終末期古墳の被葬者を比定する]

Z201.磯長墓.png私は、聖徳太子墓は葉室塚古墳、叡福寺古墳は孝徳天皇陵(大阪磯長陵)であると考えている。しかし、叡福寺古墳が孝徳天皇陵とするには、クリアーしなければならないハードルが二つある。一つは叡福寺古墳が八角墳でなければならないこと、一つは叡福寺古墳の石室にある二つ夾紵棺には、誰が葬られていたかを明らかにしなければならないことである。宮内庁陵墓調査室は平成18年に、「聖徳太子磯長墓の中段結界石の保存処理及び調査報告」を発表している。この報告書の初めには「聖徳太子(厩戸皇子)の磯長墓は大阪府南河内郡太子町太子に所在する。叡福寺の境内に営まれ、通常径52~54m、高さ7mの円墳として理解されることが多い。しかし、近年では二段築成で下段を多角形、上段を径35mの円形とみる見解が提起されたり、八角墳の可能性も指摘されている。」とある。調査の「まとめ」では、「墳丘の規模は今まで想定されていた52~54mよりひとまわり小さくなるといえよう。墳形については、多角形や八角形とする明確な根拠は見いだせなかった。」としている。

 

聖徳太子磯長墓を取巻く結界石(聖界と俗界を区分する石)は二段あり、下段にある結界石は江戸時代に寄進されたものであるが、中段の結界石は弘法大師が寄進したとの伝説があるが、いつ製作・樹立されたものであるか明確な時期は分かっていない。田岡香逸氏は中段結界石に刻まれた梵字一字のみの彫刻に注目し、畿内での造立年代は少なくとも文永前半(1264年~1270年)頃を降らないとされている。

 

宮内庁陵墓調査室は中段結界石の付近に数個のトレンチを行っている。その第3トレンチからは、中段結界石を据えた地層(Ⅵ層)の直上に凹面を上にした瓦が出土している。瓦の下からは木炭粉や骨片が出土し、瓦の上には61点の貫銭が置かれていた。唐銭3枚、北宋銭53枚、遼銭1枚、南宋銭4枚で、最も新しい銭貨は1225年に作られた南宋の「大宋元宝」であった。

 

永井久美男氏は全国75遺跡、総数200万枚の出土銭をもとに『中世の出土銭』を著し、埋納銭の埋納時期を8期に区分している。その第1期は13世紀第2四半期から14世紀第1四半期までとしている。そして第1期の属する決定銭として、最新銭が南宋の淳祐元寶(1241年)から咸淳元寶(1261年)までの5種の南宋銭を挙げている。中段結界石を据えた地層から出土した貫銭は、最も新しい銭貨が南宋の大宋元宝(1225年)で、南宋銭としては比較的流通量の多い紹定通宝(1228年)や淳祐元宝(1241年)が無いことからすると、永井氏の定めた第1期でも初期の頃、1250年代に埋納されたと考える。これらより、中段結界石は1250年以前に立てられていたと予想できる。

 

Z202.叡福寺絵図.png叡福寺の南方にある西方院が所蔵する『建久四年古図』に描かれた磯長墓には、中段結界石らしき石柱が周囲をめぐっているように見える。現存の絵図は模写であり、建久4年の絵図として見なすことは出来ないとされる意見もあるが、「中段結界石に刻まれた梵字」、「中段結界石を据えた地層にあった渡来銭」からして、絵図の通りとおり建久4年(1193年)には中段結界石はあったと考えられる。

 

聖徳太子磯長墓の墓前寺である叡福寺が創建されたのは、天喜2年(1054年)に「太子御記文」が出土した以降のことで、11世紀の中頃から12世紀の中頃と考えられている。叡福寺からは平安後期(11~12世紀)以降の瓦が多く出土いている。そして、聖徳太子磯長墓を巡る中段結界石は、叡福寺が創建されてまもなく立てられたものと思われる。結界石を立てる段階で、叡福寺古墳は八角墳から円墳に整形されたと考える。平安時代の皇統は天智天皇系であり、京都山科にある天智天皇陵は八角墳である。当時の人は八角墳が天皇陵であることを知っており、聖徳太子の墓前寺として創建された叡福寺にとっては、古墳を聖徳太子磯長墓にするために、円墳に整形せねばならなかったのであろう。


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大町阿礼

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by 大町阿礼 (2017-08-29 21:46) 

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