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49-4.高天原から高千穂に天孫降臨 [49.神話の背景には史実がある]

後漢の光武帝がナ国王に下賜した金印が志賀島から単独で出土し、光武帝が下賜したと考えられる鏡が、イト国の王墓とされている井原鑓溝遺跡から出土している。これらより、AD57年にイト国がナ国を滅ぼし奴国が誕生した。この時、滅ぼされたナ国王が瓊瓊杵尊であり、瓊瓊杵尊は一族郎党を引き連れて日向の高千穂に落ち延びたと考える。このことが後世に美化され、天孫降臨の神話となったのであろう。天孫降臨の時期がAD57年ならば青銅製武器は鉄製武器に変わっており、また中広形矛による祭祀が始まる直前の時期でもあり、宮崎県の弥生遺跡から1本の青銅武器が出土せず、鉄器のみ出土するのと符合する。

神話では、瓊瓊杵尊は天照大神の内孫で、高皇産霊尊の外孫であるとして、高皇産霊尊が瓊瓊杵尊を日向の高千穂に降臨させたとしている。天孫降臨の話は天照大神が天岩屋に籠られた後に出てきており、天孫降臨は
BC75年からBC50年ころの話となる。前述した、瓊瓊杵尊が高千穂に落ち延びたのがAD57年とすることと矛盾して来る。瓊瓊杵尊は天照大神・高皇産霊尊から2~3世代後のナ国王であったのであろう。出雲平定の話と同じように、神話は歴史を短絡化している。

Z31 高千穂の神楽.png宮崎県西臼杵郡高千穂町は神話の町である。高千穂には天岩屋とされる洞窟を御神体とする天岩戸神社があり、また天照大神を天岩屋から出そうと神々が集まった天安河原もあり、天岩戸神話を題材にした神楽の伝承もあり、高天原として存在している。よくよく考えれば、神話では高千穂は瓊瓊杵尊が高天原から降臨した場所であり、高天原が在っては可笑しいのである。しかし、天照大神の末裔であるナ国の王瓊瓊杵尊が、国を追われて高千穂に来たならば、天照大神の天岩屋の伝承は、追われた地には残らないで、落ち延びた地に残ると考えられ、高千穂が神話の町であることも納得できる。高千穂町の弥生遺跡、神殿遺跡からは鉄刀が1本、鉄鏃が4個と内行花文昭明鏡の鏡片が出土し、宮の前第2遺跡からは鉄鏃1個が出土している。


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