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44-5.北部九州の甕棺墓の編年 [44.北部九州の甕棺墓の実年代]

古墳時代の遺物のほとんどが、古墳の副葬品として出土するように、弥生時代の遺物の多くが、墳墓の副葬品として出土している。特に北部九州特有の甕棺墓は、弥生時代前期後半から後期前半まで使用され、多くの副葬品が出土している。このため、甕棺の型式別編年も多くの研究者により行われてきた。甕棺の型式とその副葬品の関係は明確に掌握されおり、甕棺の型式別編年の実年代(暦年)が明確になれば、弥生時代の中期・後期前半の王墓、伊都国・奴国の姿が見えてくると考える。

Y6.甕棺と土器.png『考古資料大観 第10巻 弥生・古墳時代 遺跡・遺構』(寺沢薫、2004年11月)には、「弥生時代および古墳時代初期首長墓副葬品一覧」があり、主要な弥生遺跡の甕棺の型式と副葬品の関係が記載されている。この甕棺の型式は『甕棺と弥生時代年代論』の著者である橋口達也氏の型式記号である。一般的に使用される甕棺の型式名称は、1968年に森貞次郎氏が設定した伯玄社式から日佐原式に至る9型式であり、歴博の藤尾氏の論文「九州の甕棺」によって、甕棺の型式記号と甕棺名称を突き合わせることが出来た。

Y7.土器と甕棺編縁.png国立歴史民俗博物館のAMS炭素14年代測定は、日常使用された土器でしか行われていない。それは、甕棺には煤・吹きこぼれ・おこげの炭化物が無いからだ。日常土器の実年代が分かっているので、甕棺と日常土器の関係が分かればと思い、その資料を探したが意外と少ない。図Y-6に、森氏が設定した9型式の甕棺の年代に対応する日常土器について、各氏の見解を示した。これらを参考にして、歴博が炭素14年代測定に用いた土器型式と甕棺型式が対応した図Y-7の編年表を作成した。森貞次郎氏が半世紀前の1966年に設定した甕棺型式とその年代観(相対年代)は、弥生中期初頭の金海式(新)甕棺を除いて、図Y-7の編年表とものの見事に一致している。1985年に福岡市西区の平良平野にある吉武高木遺跡から、城ノ越式の小壺を伴った金海式甕棺が出土したことから、中期初頭の金海式(新)甕棺の存在が認められるようになった。森氏知らなかったのも当然で、甕棺型式の論文を出してから、20年後のことである。


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