44-6.甕棺墓の人骨が年代を語る [44.北部九州の甕棺墓の実年代]
土器に付着した炭化物のAMS炭素年代を、“土器型式を用いたウイグルマッチング法”で年代を絞り込んでみ成した歴博の土器編年と、北部九州の甕棺編年を対応させた弥生時代の編年表を作成することが出来た。ただ、甕棺自体の型式別の実年代(暦年)は確認出来ていない。この編年表の妥当性を科学的に証明できないだろうか?
甕棺は酸性土壌の影響を受けることが少ないので、人骨が残っている。この人骨でAMS炭素14年代測定を行う試みが九州大学で行われ、その結果が「出土人骨を用いたAMS法による年代測定結果」(2004年)で報告されている。海洋リザーバー効果の影響を避けるため、人骨は内陸部の遺跡から出土したものが選ばれている。なお、「44-3.土器編年と炭素14年代のコラボ」で示した図Y-3にある6個の大きな●印は、この人骨のデータである。これらについて詳しく検討してみたい。九州大学が甕棺から出土した人骨のAMS炭素14年代測定の値は、次の通りである。
甕棺型式 遺跡名 地域 人骨甕棺 炭素14年代(14C BP)
① 金海式 金隈 博多区 K103 2354±27
②城ノ越式 ハサコの宮 小郡市 K20 2240±26
③永岡式(KⅡc) 津古片曽葉 小郡市 K1 2256±27
④須玖式 宮ノ下 春日市 T8 2232±26
⑤立岩式 隈 筑紫市 K40 2084±28
⑥同上 同上 同上 同上 2132±26
①~④を歴博研究報告第137集P65にある日本産樹木年輪試料による較正曲線(JCAL)に、⑤~⑥は第163集P159にあるJCALにプロットした。なお、甕棺の型式区分は私の作成した編年表によっており、“甕棺型式によるウイグルマッチング”である。図Y-8(縦軸:炭素14年代、横軸:較正年代)に示すように、①の金海式甕棺(紀元前400~350年)の人骨は紀元前400年近辺で、②の城の越式甕棺(紀元前350~300年)は紀元前300年近辺で適合する。特に③の永岡式甕棺は、『甕棺と弥生時代年代論』橋口達也によるとKⅡcに属しており、紀元前250~200年という狭い範囲であるが、人骨は250年近辺で一致している。④の須玖式甕棺(は紀元前200~100年)では、日本産樹木の較正曲線のデータが十分ではないが、紀元前200年頃にほぼ一致する。
立岩式甕棺の⑤・⑥の炭素14年代は、同じ人骨のデータであるにも関わらず大きく離れている。これら2点について、歴博は図Y-3に見られるように100年の幅をもってプロットしているが、これは正しくない。2点は縦軸に考えるべきであり、どちらか1点が異常値であるか、または両方の炭素14年代値が同じ年に存在するかである。図Y-9に見られるように、紀元前70年頃は⑤・⑥の炭素14年代が同一年に存在しており、立岩式甕棺(紀元前100~1年)と整合性が取れている。私の作成した甕棺の編年は、甕棺から出土した人骨のATM炭素14年代測定によって証明出来たと考える。
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