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44-3.土器編年は相対的な序列でしかない [44.北部九州の甕棺墓の実年代]

考古学者が長年に渡って作り上げてきた土器による編年は、一型式が25~30年の存続幅であるとして組立てられている。土器は母から娘へと製作技法が伝承されて行くものであり、土器一型式が一世代で25~30年に当たるという考えからきている。もちろん、土器編年は共伴する遺物との整合性を取っている。中国東北部の遼寧式鉄剣が朝鮮半島に伝わり細形銅剣が生まれ、その細形銅剣が北部九州に伝わったとして、朝鮮半島の青銅武器の型式の編年から細形銅剣の年代を推定している。ただ、この青銅武器の型式の編年も決定的な証拠がなく、韓国の土器の炭素14年代の測定により、学説が揺れ動いている。

北部九州の弥生墓から多数出土する前漢鏡は、『前漢書』地理史に「楽浪海中倭人あり、分かれて百余国となる。歳時を以って来たり、献じ見ゆ」と書かれた年代に埋納されたとして、紀元前後に編年されてきた。しかし、年輪年代測定で中期が100年遡ることになった以降は、楽浪郡が設置された紀元前108年直後と考えられるようになっている。土器や青銅器の型式による編年は、「蟻の一穴」で崩れる弱さを持っている。

弥生文化博物館の学芸課長や国立歴史民俗博物館の研究部教授をされた広瀬和雄氏は、著書『日本考古学の通説を疑う』の中で、「日本考古学会はどの地域でも使われ、一定の時間幅での変化を見せるという要素、たとえば製作技法や器表を飾った文様、あるいは大きさや形態、それらの組み合わせなどに着目して精緻な型式分類を積み重ね、世界に誇るべき土器編年の体系を確立してきた。」と述べている。そして、「型式分類にもとづく土器の編年は、土器ならびにそれと共伴関係にある(もの)同士の先後関係、いいかえれば相対的な序列をあらわにすぎない。」と述べ、「年代判定が可能な遺物のない時代の実年代(暦年代)は、考古学独自の方法では明らかに出来ない。年輪年代法や炭素14年代法などの理化学的方法に依拠するしか術がない。」と述べている。


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