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44-1.弥生の研究者を襲った“激震” [44.北部九州の甕棺墓の実年代]

2006年3月、宇治教育委員会と奈良文化財研究所は宇治市街遺跡から出土した須恵器の年代が、年輪年代測定法と炭素14年代測定により389年と導かれ、5世紀前半とされてきた須恵器の生産開始時期が定説を遡ることになったと発表した。2009年5月の考古学協会総会で、国立歴史民俗博物館がAMS法による炭素14年代測定により、箸墓古墳の築造年代が240年から260年であると発表した。これら二つの発表が古墳の研究者に衝撃を与えたと、「41-1.古墳の研究者を襲った“激震”」というタイトルで記述した。これら2件とも歴史の事象に対する実年代について、科学的年代測定が、それまで考古学者が積み上げ推論して来た年代観を打ち破って、年代を遡らせた結果となっている。

これを去ること10年前に、弥生時代の研究者も二つの激震に襲われている。1996年4月、弥生文化博物館の金関館長は、「大阪・池上曽根遺跡『神殿』柱の伐採は紀元前52年」と発表した。この年代は奈良文化財研究所の光谷拓実氏が年輪年代法で比定したものであった。このヒノキ柱のそばから出土した土器は1世紀中頃と推定されていたので、弥生中期が百年遡ることになった。それまで弥生前期は紀元前300年から、中期は紀元前100年から、後期は紀元後100年からと考えられていたものが、弥生前期は紀元前300年のままで、中期は紀元前200年から、弥生後期は紀元前後からと考えられるようになった。

Y1.弥生の実年代.png2003年5月、国立歴史民俗博物館(歴博)はAMS法による炭素14年代測定により、弥生時代の開始年代について、前期の始まりは従来よりも500年遡り紀元前800年頃に、中期の始まりは200年遡り紀元前400年頃になると発表している。弥生時代開始年代が500年遡ることの衝撃はあまりにも大きく、この年代観は多くの考古学者から“あまりにも古すぎる”と、まだ定着するまでには至っていない。図Y-1は歴博の研究報告会「弥生時代の実年代」(2003年12月21日)の資料の縄文晩期以降を示したものである。





 


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コメント 1

児島宮考古学研究室

歴博の研究報告は、間違っている。
歴史上で計測していないのです?
歴史上とは年表なり。
日本の始まりは、河姆渡の夏王朝の越王無予に、始まると、中華華夏と、されている。
日本の歴史は菊にある?年表天皇の始まり





by 児島宮考古学研究室 (2015-05-21 15:33) 

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