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41-6.九州で始まった横穴式石室 [41.古墳時代の3期区分を考える]



古墳後期の始まりについては、前章で円筒埴輪Ⅴ式(集成編年8期)からとしたが、集成編年9期からとされている学者も多い。集成編年9期の定義は「円筒埴輪のⅤ式。MT15・TK10型式。鉄製輪鐙・心葉形杏葉・楕円形杏葉・鐘形杏葉・半球形雲珠や竜鳳環頭大刀が出現する。横穴式石室が普及する。」とある。須恵器・馬具・珠・大刀の型式変化は大きな画期にはならないが、「横穴式石室の普及」は大きな画期である。ウェブサイトの“遺跡ウォーカー”で「横穴式石室」を検索すると13,466基の古墳がヒットした。この数は前方後円()墳の数よりはるかに多く、円墳・方墳や飛鳥時代(古墳終末期)の上円下方墳や八角形墳にも取り入れられていたことが伺える。これらからして、古墳時代にとって「横穴式石室の普及」は大きな画期である。



K18九州系横穴石室.jpg「横穴式石室の普及」ということは、集成編年9期より前に横穴式石室が出現していたことになる。古墳データベースより、円筒埴輪Ⅳ式以前の横穴式石室を持つ古墳を抽出し表K18を作成した。表を見ると、円筒埴輪Ⅱ式の時代に、九州北部の玄界灘沿岸に横穴式石室を持つ谷口古墳・老司古墳・鋤崎古墳が出現している。谷口古墳の横穴式石室は竪穴系横口式石室と呼ばれ、鋤崎古墳の石室は北部九州型石室と呼ばれている。老司古墳はその中間で、竪穴系横口式石室という学者もいれば、北部九州型石室という学者もいる。

K19 鋤崎古墳.jpg竪穴系横口式石室は従来から行われていた竪穴式石室の一端に出入り口を付けたもので、谷口古墳では持ち送りの石積みをした側璧が、天井部で合わさり石室は合掌型になっている。石室は奥行3.0mx幅.6mの短冊形である。それに対して、北部九州型石室は扁平状の石を持ち送りさせながら積み上げて天井を狭めて行き、最後に天井石で覆って平天井を形成し、長方形の石室を造っている。鋤崎古墳の石室は3.6x2.6m、丸隈山古墳は3.9x2.5mである。老司古墳・鋤崎古墳・丸隈山古墳は追葬が行われているが、その時に石室の横穴へ行く通路は、墳頂から掘られている。この点が、羨道が古墳の横に通じる近畿型横穴石室との大きな違いである。

K20 肥後型横穴.jpg九州の有明海沿岸では円筒Ⅳ式時代に、肥後型石室と言われる、正方形の石室にドーム状の天井を築き、頂部を1枚の天井石で覆う横穴式石室が登場している。この肥後型は石室内部を板石(石障)で仕切り、幾つかの埋葬空間を形成している。熊本県嘉島町の井寺古墳は直径25mの小規模な円墳で、凝灰岩の切り石を積み上げ2.9x2.5mの石室が造られ羨道もあり、その側壁や石障などには図柄が描かれた装飾古墳である。


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