SSブログ

41-7.九州系横穴式石室の拡がり [41.古墳時代の3期区分を考える]

K21各地の横穴石室.jpg九州北部や有明海沿岸で九州系横穴石室が造られていた、古墳前期から中期(円筒埴輪Ⅱ式~Ⅳ式)の時代に、熊本で採れる阿蘇の凝灰岩(菊池川流域・宇土半島・氷川流域)で作られた石棺が、岡山・大阪・奈良などに運ばれている。九州系横穴石室の情報も伝わっていたであろうと思われる。表K18に示したように、円筒埴輪Ⅳ式の時代に岡山の千足古墳・福井の向山1号墳で九州系横穴式石室が造られている。この時代に島根・鳥取・大阪・和歌山・三重・愛知でも、九州系横穴式石室が散発的に造られている。それらの古墳を初期横穴式古墳と称し、表K21に示す。千足古墳を除くと円墳が多く、前方後円墳があっても、それは小さな古墳であることがわかる。大和王権は九州系横穴式石室を認知していなかったと考えられる。

K22高井田山古墳石室.jpg考古学者は、次の時代につくられる畿内系横穴式石室の出現を持ってして時代の画期と考え、九州系横穴式石室は時代の画期としては扱っていない。畿内型横穴式石室の祖形として考えられているのが、大阪府柏原市の高井田山古墳である。高井田山古墳は直径30mの帆立貝形古墳で、板石を積み上げた奥行3.7x幅2.3mの石室(玄室)を持つ、片袖式の横穴式石室である。北部九州型石室との大きな違いは、長さ2x幅1mの羨道があることだ。青銅の火熨(ひのし:アイロン)が出土したこともあって、このような形状の石室は百済の影響を受けて造られたと言われている。

私には、高井田古墳の墳径が30mと小さく初期横穴式石室の古墳と同じ規模であること、肥後型石室の井寺古墳にも長さ1.2x幅0.7mの羨道が備わっていることから、初期横穴式石室と大差がないように思える。この高井田古墳が横穴式石室の祖形であったとしても、全国的に普及する横穴式石室の原点であるようには思えない。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。