SSブログ

34-1.聖徳太子実在の鍵は「天皇号」 [34.「天皇号」の成立を解く]

法隆寺の薬師如来像光背銘、釈迦三尊像光背銘、そして中宮寺の天寿国繍帳銘は、法隆寺系史料と言われ、昭和の初め頃までは「聖徳太子が実在した(皇太子は聖人だった)」を証明する金石文と考えられていた。しかし現在では、それらの全てが疑問視され、後世の捏造ではないかと云われるようになった。その疑問視されている第一が「天皇号」の問題である。 

法隆寺の金堂に安置されている国宝の薬師如来像の光背銘には、「天皇」銘が3ヶ所刻まれている。その内容は「用明天皇が病気になられた時、丙午の年(586年)に推古天皇と聖徳太子を召して、病気平癒のため寺を造り薬師像を作ることを請願されたが、それがかなわぬまま亡くなられた。そこで、推古天皇と聖徳太子が、丁卯の年(607年)に作り奉った。」とある。用明天皇は「池辺大宮治天下天皇」、推古天皇は「小治田大宮治天下大王天皇」「大王天皇」、聖徳太子は「太子」「東宮聖王」と刻まれている。
 

この銘文について大山氏は、「唐の高宗の上元元年(674年)に、君主の称号が『皇帝』から『天皇』に代ったが、その情報が、天武朝(672~686年)に倭国に伝わり、持統3年(689年)に編纂された浄飛鳥御原令において正式に採用され、天武天皇に対して最初の『天皇』号が捧げられたというのが定説となっている。・・・三度も天皇号を使用した薬師像の銘文は、天武・持統朝以後の成立で、607年のものとしては偽物ということにならざるを得ないのである。」と述べている。「天皇号の成立」という大命題を論破しなければ、「聖徳太子が実在した(皇太子は聖人だった)」ことを証明は出来ない。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。