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29-6.王権の象徴のガラス璧 [29.ガラスを透して古代を見る]

玉璧とは玉石で出来た直径10~20㎝の円盤で、中央に円形の孔があいている。紀元前2000~3000年の良渚文化で誕生し、西周代まで無文であったが、春秋末から戦国時代に表面に細かなつぶつぶの突起文様が掘られるようになり、前漢時代に最盛期となった。玉璧を穀璧と呼ぶのは、この文様のためである。また、戦国時代時代にはガラスの璧が登場してくる。完全無欠なことを「完璧」と言い、優劣なく優れていることを「双璧」というように、古代の中国では「璧」に特別な価値を認めている。 
G48 穀璧.jpg
我が国で玉器の穀璧が出土したのは、大隅半島の宮崎県串間市から出土した1点のみである。外径33.3㎝x孔径6.5㎝x厚さ0.6㎝で、中国で出土するものに比べてもすこぶる大きい硬玉製である。文様帯が三区に分れ、それぞれ異なる繊細な文様があり、まさに「完璧」で国宝となっている。この穀璧が石棺から出土したのは江戸時代の文政元年であり、詳細は分かっていない。私は大隅半島を邪馬台国と敵対した狗奴国と考えており、魏志倭人伝にある狗奴国の男王「卑弥弓呼」が所持し、その子孫の墓に副葬されたと推測している。
 


G49 三雲ガラス璧.jpgガラス璧の出土は2例、福岡県前原市の三雲南小路遺跡と福岡県春日市の須玖岡本遺跡D地点の弥生中期後半の甕棺墓からである。三雲南小路1号甕棺は江戸時代の文成年間に発見されたもので、儒学者青柳種信により詳細が書き残されている。1号甕棺からは青銅器として前漢鏡35面・銅剣1本・銅矛2本・銅戈1本・金メッキ飾金具8個が、ガラス製品として璧8個・勾玉3個・管玉100個以上が出土している。
 

ガラス璧は外径8.5㎝x孔径2.1㎝x厚さ0.6㎝であり、風化して白色になっているが本来の色は濃青緑色である。ガラス璧の成分は分析され、鉛が50%(バリウム0.52%)の鉛ガラスであった。三雲南小路1号甕棺墓は正に王墓であり、王権の象徴としてガラス璧が副葬されたのであろう。
 

須玖岡本遺跡D地点甕棺墓は明治32年に発見され、青銅製品として前漢鏡30面前後、銅剣2本・銅矛5本・銅戈1本、ガラス製品として璧3個以上・勾玉1個・管玉13個が出土している。須玖岡本遺跡D地点甕棺墓は、三雲南小路1号甕棺墓と双璧をなす王墓である。王権の象徴としてガラス璧が3個以上出土しているが、散逸して現存していない。ガラス璧の小さな破片が、出土した前漢鏡片の中から見つかり、緑色を呈したバリウムを含む鉛ガラスであることがわかった。

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