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29-5.鉛バリウムガラスが前漢時代に流入 [29.ガラスを透して古代を見る]

G45 吉野ヶ里ガラス管玉.jpg弥生時代中期後半になると北部九州地方を中心に、勾玉・管玉・棗(なつめ)玉・丸玉・小玉・塞杅(髪飾り)・璧などのガラス製品が流入している。北部九州の遺跡としては、福岡県では前原市の三雲南小路の勾玉・管玉・璧、春日市の須玖岡本遺跡の勾玉・管玉・塞杅・璧、飯塚市の立岩掘田遺跡の管玉・棗玉・丸玉・塞杅、佐賀県では唐津市の宇木汲田遺跡の管玉・小玉、呼子町の大友遺跡の管玉・丸玉、神崎郡の吉野ヶ里遺跡の管玉などがあげられる。北部九州以外では、多くはないが瀬戸内や近畿周辺から、少数であるが関東南部から出土する。 

これらのガラス製品の内、組成が分析されたもののほとんどはバリウムを含む鉛ガラスである。その中で組成が測定され、明確に鉛バリウムガラスと分かっているのは、宇木汲田遺跡の管玉、吉野ヶ里井遺跡の管玉、玖岡本遺跡の管玉、立岩遺跡28号甕棺の塞杅である。これら鉛バリウムガラスの成分と、中国の前漢時代、韓国の同時代の成分を比較して見た。
      
SiO2   Al2O3     CaO     MgO    K2  Na2 PbO  BaO
     
中国 37%  0.85%  0.48%  0.09%  0.17%  3.17%  40%  16%
     
韓国 42%  0.50%  1.70%  0.34%  0.08%  4.20%  39%  11%
     
日本 39%  0.47%  1.21%  0.39%  0.29%  4.51%  40%  12% 

G46鉛同位体比.jpg日本(弥生中期後半)と韓国(1世紀以前)の鉛バリウムガラスは、中国の前漢時代の鉛バリウムガラスとほぼ同じ組成である。鉛バリウムガラスは戦国時代の中国で生れたが、前漢の時代に韓国と日本にもたらされたと結論付けることが出来る。
 

前述の4遺跡から出土したガラス製品の鉛同位体比が測定されている。韓国では細形銅剣・多鈕細文鏡・鋳造鉄器・鉛バリウムガラスがセットで出土している。そこで、日本出土の朝鮮系青銅器(細形青銅武器と多鈕細文鏡)の鉛同位体比と、鉛バリウムガラスの同位対比を比較してみた。
 

G47朝鮮半島ガラス.jpg「20
-.弥生の故郷は山東半島」で示したように、朝鮮系青銅器はラインD’を形成し、その鉛鉱山は山東半島の香奇鉱山であった韓国と日本で出土した鉛バリウムガラスのプロットは、全てそのラインD’上にあり、前漢時代には鉛バリウムガラスが山東半島で作られ、韓国と日本に伝来したと考える。吉野ヶ里遺跡のガラス管玉の測定値が、ラインD'
上ではあるが右上離れた位置にある。これは香奇鉱山の鉛鉱石の測定値を増やせば、その間は埋まると考える。図47は韓国の鉛バリウムガラスの出土地である。鉛バリウムガラスが中国北部の遼寧省あたりや北朝鮮にあった楽浪郡からではなく、山東省付近からもたらされたことが理解出来る。

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