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24-8.ジャポニカ1万年の旅 [24.ジャポニカ、一万年の旅]

1万年前頃にスンダランドで熱帯ジャポニカのウルチ米の栽培が陸稲で始まり、7~8千年前頃に中国に渡り水稲の温帯ジャポニカのウルチ米が生れる。メコン川を遡った熱帯ジャポニカのウルチ米からは、5千年前頃にラオス北部・タイ北部で陸稲の熱帯ジャポニカのモチ米が生れる。 

4千年前頃中国の雲南地方で、長江を遡った温帯ジャポニカのウルチ米と、メコン川を遡った熱帯ジャポニカのモチ米が出会い、陸稲の温帯ジャポニカのモチ米が生れる。3千5百年前頃長江を下り、黄河流域に達した温帯ジャポニカのモチ米から、粘りのある水稲の温帯ジャポニカのウルチ米が生れた。陸稲の温帯ジャポニカのモチ米と水稲の温帯ジャポニカのウルチ米が、照葉樹林文化と共に、山東半島をへて3千年の縄文晩期の日本にやってきた。これが、弥生稲作の始まりである。
 

B70ジャポニカ道.jpg私が考えたイネの起源は、イネのDNAから見ても、考古学の稲作遺跡から見ても、古代遺跡から出土した炭化米のDNAから見ても矛盾しない。また、中国の長江文明と黄河文明や、日本の縄文稲作と弥生稲作との整合性もある。そして、渡辺忠世氏の唱えた「
アッサム・雲南起源説」や「モチ栽培圏」と、中尾佐助氏と佐々木高明氏の唱えた「照葉樹林文化の道」も、また柳田国男氏の唱えた「海の道」も、見方変えれば包含している。図70にジャポニカの辿った道を示す。 

NHKスペシャル「日本人」プロジェクト編の「日本人はるかな旅④ イネ、知られざる1万年の旅」という本がある。私は「ジャポニカ1万年
の旅」を解き明かしたつもりでいる。それでは、続いて「インディカ1万年の旅」を解き明かしてみる。
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