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24-5.象牙と子安貝の道 [24.ジャポニカ、一万年の旅]

B61 青銅人頭像.jpg中国四川省の成都に、4500~3000年前の三星堆遺跡がある。この遺跡からは殷代の大型祭祀坑が二基発見され、おびただしい青銅器・玉石などが出土している。一号坑が古く、黄河文明が花開いた殷墟の始まりと同じ時期で、3500年前の遺構である。この一号坑からは、写真に図61と図B62に示す青銅器・金製品や、図B63・B64のような多量の子安貝と16本の象牙が出土している。4枚の写真は「三星堆 中国5000年の謎・驚異の仮面王国」(朝日新聞社、1998年)より引用。 

B62 黄金の虎.jpgB63 三星子安貝.jpg
B64 三星象牙.jpg

子安貝と象牙はどこからきたものであろうか。四川盆地に象がいたという説もあるようだが、二号坑からは60本余りの象牙が出土しているし、四川盆地にある金沙遺跡(三星堆の次の時代)では1000本余りの象牙が出土している。このような多量の象牙を入手出来たことから、象牙は子安貝と一緒に南方からやって来たと考える。

三星堆遺跡から出土した青銅器に使用された鉛は、鉛同位体分析により四川盆地の南西端から
100km長江を遡った雲南省の永善産であることが分かっている。銅は永善から300400km、長江を遡った東川・会里であるとされている。また、これら長江上流部は金沙江と言われ、砂金の取れる川であり、三星堆遺跡や金沙遺跡から出土した金は、金沙江で採れたものである。東川・会里から150200kmに雲南の省都の昆明があり、3500年前に成都と雲南に人と物の交流があったと言える。B65 貯貝器.jpg 

雲南には、紀元前2世紀頃の前漢時代の貯貝器(写真B65)という青銅器がある。この青銅器は昆明郊外の滇湖近くの石寒山にある大型墓群から45個も出土している。貯貝器の中には子安貝が詰まっていて、全部で2万個くらいあったそうだ。雲南省の石寒山といえば、福岡県の志賀島から出土した金印「漢委奴国王」と、時代が違うが同じ様な金印「天滇王印」が出土した、滇王の墓がある所である。三星堆遺跡の象牙と子安貝は雲南を通ってやって来たと考える。
 

B66 銅鼓.jpg紀元前5~3世紀に作られた銅鼓という太鼓に似た青銅器(写真B66)がある。この青銅器の古いタイプは、ヘガー式と言われ、その主な出土地は雲南、ベトナム北部の紅江流域、そしてタイ・ラオスのメコン川流域である。雲南とベトナム北部やメコン川流域は紀元前5~3世紀には交流が行われていたことが分かる。
 

3500年前頃、象牙と子安貝が雲南へ行った道は、メコン川であったと考える。雲南からベトナム北部へは容易にいけるが、象や南方の海で採れる子安貝を考えると、これらが通った道はメコン川であろう。写真67は雲南からメコン川を下り、ミャンマー・ラオスの国境を通りタイに来た中国船である。
 
B66 メコン川.jpg

 
B68 象祭り.jpgタイには今でも野生の象がおり、西海岸のアンダマン海にある島々では今でも子安貝が取れる。4000年前、熱帯ジャポニカのモチ米がメコン川を遡って雲南に行き、温帯ジャポニカのウルチ米が、長江を遡って雲南に行ったルートこそ、3500年前に子安貝と象牙が通った道である。写真68はタイ東北部のスリンで行われる象祭り。
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