SSブログ

24-4.雲南で出会ったジャポニカ [24.ジャポニカ、一万年の旅]

B59 モチ栽培圏.jpg「稲の道」の著者である渡辺忠世氏は、東南アジアの建物のレンガに入っている籾殻を調べ、古い時代には色々な形と大きさの籾が広く分布しており、それらの品種の流れのもとをたどれば、アッサムから雲南に集中する。だからその地域で色々な品種が生れたとして、「稲作の起源はアッサム・雲南」説を初めて唱え、イネの起源はインドという定説を覆した。また、図B59の「モチ栽培圏」を提唱し、古い時代の陸稲の大部分はモチ品種であったと推測した。 そして、雲南から各地に稲が伝わった稲の品種について、「アジアにおけるジャポニカ伝播の第一陣は、すべてモチ品種だという事になる。」と述べている。
 
「稲と稲作のふるさと」の著者である中川原捷洋氏は、生物の体内にある酵素のタンパク質の違いを見分けるアイソザイム分析を用いて稲を分類した。その結果、最も稲の変異が多様な地域、「稲の遺伝的中心」がミャンマー・タイ・ラオスの北部、中国雲南省の南部で、このあたりがイネの栽培化の起源地となると結論付けている。 渡辺氏や中川原氏以外にも、遺伝学者でこれらを遺伝学的に肯定する論文が出され「稲作の起源はアッサム・雲南」が不動のものとなっていった。これらの考えの柱となるものが、「アッサム・雲南」が稲の多様性の中心である、平易な言い方をすれば、最も多くの品種の稲があったと言うことである。 

B60温帯モチ雲南.jpg私は中国雲南省には、メコン川を遡って熱帯ジャポニカのモチ、T(G)qSW5 wx qSH1が、また長江を遡って温帯ジャポニカのウルチ、G(P)qsw5 Wx qSH1がやって来て、温帯ジャポニカのモチ、T(G)qSW5 wx qSH1qsw5 wx qSH1が生れると考える。こう考えると雲南は、イネの品種の多様性に長けたところになる。なお、多様性としてはインディカが抜けているが、これは別途の話とする。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。