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24-3.モチ米の起源はメコン川中流 [24.ジャポニカ、一万年の旅]

B55 バンチェン土器.jpg私の机の前の飾り棚に額に入ったミニチアの壺がある。この壺はタイ北部のウドンタニ県にあるバンチェン遺跡から出土した壺のイミテーションで、タイ銀行が60周年の記念品として作ったものだ。タイ人にとってはこれほど誇り高き遺跡なのは、バンチェン遺跡が1960年代に発掘された当初、6000年前(紀元前4000年)のものとされ、出土した青銅器は世界最古のものであり、農耕文明発祥の地として騒がれ、世界的に脚光をあびたからである。現在では4000年前(紀元前2000年頃)とされている。      

 
界遺産に登録されたこともあって、10年前に私も現地に行ってみた。
当時は青銅器に興味をもっていたが、遺物を見てちょっと時代が違うのではという気がしていた。それよりも驚いたことは、秋篠宮殿下妃殿下が同遺跡に来られた写真が飾られていたことだ。よくこんな所まで来られたものだと感心した。       

B56 バンチェン遺跡.jpgバンチェン遺跡が農耕文明発祥の地として騒がれたのは、後期新石器時代の地層から出土した土器に付着していた米粒があったことや、土器のなかの籾、金属器に附着した稲わらが出土しているからだ。バンチェン遺跡から南西30キロにあるノンノクター遺跡は、出土する土器がバンチェンと同じものであり、同時代の遺跡とされている。この遺跡からは、土器についた穀粒圧痕と、土器に附着した籾が出土している。これらについては渡辺忠世氏の著書「稲の道」に書かれているが、その内の数個の土器片が、穀物の権威である日本の木原博士の所に送られ鑑定が行われた。木原博士はこれらの穀粒がアジア全域に分布する栽培イネ(
Oryza sativa)であると結論されている。 

2008年にタイの74種の在来品種種について、ジャポニカ・インディカ、ウルチ・モチ、水稲・陸稲の分類が、タイの
Mahasarakham大学でDNA分析され、論文「Analysis of Plastid Subtype ID Sequences in Traditional Upland and Lowland Rice Cultivars from Thailand(タイ在来品種(陸稲・水稲)PS-ID領域における細胞質型の分析)」が出ている。B57 タイ米.jpgその結果を図B57に掲げた。タイの北部では全てが陸稲のジャポニカで、モチとウルチは半々である。ラオス北部の陸稲123品種についてのDNA分析が日本人の学者により行われているが、その84.5%はジャポニカとの報告がある。タイとラオスは同じ状況であると判断出来る。 

B58 熱帯モチ.jpgスンダランドが水没するとき、
熱帯ジャポニカのウルチ米を携えてメコン川を遡上した人々もいる。その人々は5000年前頃にラオス北部やタイ北部で焼畑による稲作を始めた。そして、熱帯ジャポニカのウルチ、G(F)・qSW5 Wx qSHが突然変異を起こし、焼畑に適した陸稲の熱帯ジャポニカのモチ米、T(G)・qSW5 wx qSH1が生れた。熱帯ジャポニカが生れた当時は、qSW5 wx qSH1であったが、それらの品種は栽培化進むうちに淘汰され、在来種として残っているものの多くは、qsw5 wx qSH1である。 
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