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B-5.天皇陵の周濠を調査すれば [Blog:古代史散策]

寺沢薫氏の「王権誕生」にある年表と、日本書紀を基にした私の元年表を比較すると、朝鮮半島と倭国の関係は、両者が同類の資料(百済記や三国史記)を基にしているため、それほど編年に大きな差はない。大型前方後円墳の発生時期ついては、箸墓古墳はそれほど大きな差がないが、奈良盆地東南部の大王墓・佐紀古墳群・古市古墳群では大きな差が認められる。 

この事は「19-9.古墳時代の編年が明らかになる日」で書いたように、欽明陵(見瀬丸山古墳)・仁徳陵(大仙陵古墳)と箸墓の編年のトレンドと、応神陵(誉田御廟山古墳)・景行陵(渋谷向山古墳)・崇神陵(行燈山古墳)の編年のトレンドが、40~50年違っていることに起因している。寺沢氏の年表でも、「定型化した巨大古墳の築造始まる。(箸墓古墳の築造)」を270年頃として、その40年後の310年頃に「奈良盆地の東南部に大王墓や大型前方後円()墳が次々に築造される」としている。
 

箸墓に代表される大型前方後円墳の発生年代は、もともと4世紀初めとされていた。しかし、箸墓の築造年代が発掘調査により、280年、260~240年と時代を遡ったとき、他の古墳年代の編年がそれに追随できなかったため、箸墓と大王墓の築造年代に大きなギャップが生じたと考える。


大型前方後円墳の多くが、天皇陵あるいは陵墓参考地して宮内庁の管轄下にあり、学術調査が困難である。近年立ち入りが少し認められて来たというものの、発掘調査など認められる訳がない。しかし、日本の古代史の解明のためにも、天皇陵あるいは陵墓参考地の正確な築造年代を知る必要がある。それは国民の象徴としての天皇家のためにもなることだ。 

天皇陵の尊厳を損なうことなく、天皇陵の築造年代を知ることが出来る科学的方法はないものだろうか。大型前方後円墳は、そのほとんどが周濠を持っている。その周濠で堆積物が多く或る場所をボーリングし、地層のコアを取り、周濠の底の地層より少し上の地層にある炭化物を、C14年代測定により調べることにより、周濠の出来た年代を知ることが出来ないだろうか。もちろん、それらの堆積物は撹乱されている場合が多いかも知れない。それらの心配は、ボーリング地点を多くすることや、周濠の底より上部の堆積物のC14年代測定をする事により、異常値や誤差は取り除かれると思われる。湖や池の年代測定、過去の津波の年代測定で良く行われている方法だ。そんな日が来るのかも知れない。

前方後円墳の相対編年は、考古学者により緻密に行われている。しかし、その絶対年代は信頼に値するものであるとは思えない。土器の編年がそれを示している。考古学者が蓄積してきた相対編年と、数多くの資料を伴う科学的手法による絶対年代とが、マッチングして初めて真実が見えて来るであろう。

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