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B-4.考古学は歴史を語れない [Blog:古代史散策]

私はブログを始めて開設した。ブログに記事を投稿した後は、読者からの反応を、コメント以外に知る事は出来ないと思っていた。しかしSo-netでは、日ごとに何の記事がアクセスされているか分かるし、また、記事ごとに開設以来のアクセス数を知ることができる。古代史の何に世間は関心があるのか、マーケティングが出来る訳である。 
                              
10月1日に投稿した「御坊市の熊野(いや)神社」の記事を別にすると、一番アクセスの多かったのが「11-4.邪馬台国から大和王権へ」で、カテゴリーでは「17.空白の4世紀を解く」が、記事の平均アクセス数が最も多くあった。両者とも邪馬台国のその後の話である。 世間は多分、邪馬台国が何処にあるかは纒向遺跡の宮殿跡でもう決まった。それでは、邪馬台国のその後はどうなったのか、という方向に関心が移っているに違いない。その後は、大型前方後円墳が造られる古墳時代になるのは誰しも知っている。しかし、人と物が創り出す歴史はどうなったのか、考古学の本では明確に示されていないのだ。 

確かに、考古学は古墳時代について明らかにしてきた。前方後円墳の変遷、それに飾られる埴輪の変遷、古墳から出土する三角縁神獣鏡の変遷と同笵鏡の分布、土師器や須恵器の変遷とその移動、微に入り細に入り研究は進んでいる。しかしながら、大型前方後円墳の被葬者は誰であるか等人が関わることについては、日本書紀・古事記・神社等に伝わる伝承でしか分からない。剣や鏡に刻まれた文字は僅かにあるが、考古学は物を通じで歴史を語れても、人が関わる歴史は語れないのである。 

古代史の宝庫である奈良県内の発掘を手がけ、数々の成果をあげた橿原考古学研究所の調査研究部長をされた寺澤薫氏は、講談社の日本の歴史(全25巻)の第2巻「王権誕生」で、弥生時代から古墳時代の王権誕生の道程を、考古学の立場から描いておられる。この本の最後には、本書の年代観をもとに作成された年表がある。卑弥呼以後の年表(250年~400年)と、私の元年表(日本書紀を一定ルールで再編年)とを対比して表B3a..cに掲げた。


古学を基にした年表より、日本書紀を基にした年表の方が歴史を感じさせる。それは日本書紀が創作されたものであるからだろうか。司馬遼太郎の歴史小説は読者に感動を与える。それは司馬遼太郎が史実を基にして、創作を交えて小説を書いているからだと思う。日本書紀も史実を基にして書かれたものだと考える。もちろん創作の部分もあるだろう。その創作の部分を排除して、史実を引き出すのが歴史学・考古学の務めであろう。全部排除してしまったら何も生まれて来ない。考古学だけでは、人が関わる歴史は語れないのである。

(表をクリックすると大きくなります)

B3a年表比較.jpgB3b年表比較.jpgB3c年表比較.jpg

                                                           

                                                               

                                                                              


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