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B-3.雨が降ればアクセスが増える [Blog:古代史散策]

恥ずかしいことに、私は「風が吹けば桶屋が儲かる」の事を、「雨が降れば桶屋が儲かる」と思っていた。「雨が降れば→雨漏りがする→雨漏りを受ける桶がいる→桶が沢山必要→桶屋が儲かる」の方が、非常に論理的だからだ。 

「風が吹けば桶屋が儲かる」では、「風が吹けば→砂埃が立つ→砂埃が目に入って盲人が増える→三味線を弾く人が増える→三味線を作るには猫の革が多くいる→猫が減る→ネズミが増える→多くの桶がかじられる→桶が沢山いる→桶屋が儲かる」である。こんな論法で古代史を書いていないかと、冷や汗をかいている。歴史を語る専門家には、結構こんな論法を使う人がいるような気がする。
 

さて、前置きが長くなったが、掲題の「雨が降ればアクセスが増える」の話だ。9月10日頃から、私のブログの「9-6.御坊市にある熊野神社」のアクセスが急に増えて来た。初めは、私の述べる「神武東征は史実だった」に興味を示す人が増えたと喜んでいた。しかし、アクセスの増えたのは「御坊市にある熊野神社」だけで、神武東征に関する他の記事は、余りアクセスは増えていなかった。
 

そして、ようやくアクセス増加の原因が分かった。台風12号の大雨は、紀伊半島の山間部に大きな災害をもたらした。9月8日には、台風14号による影響で、紀伊半島では再び大雨となり、土砂崩れによる堰止湖、土砂ダムの決壊が予想され、連日ニュースで報道された。その土砂ダムの一つが和歌山県田辺市熊野(いや)にある。
 NHKのニュースでも「熊野」と書いて、わざわざ「いや」とふり仮名を付けている。なぜ「熊野」を「いや」と読むのか、疑問を持った人がインターネットで検索し、私のブログにヒットした模様だった。 

私は記事の中で、田辺市熊野(いや)を熊野(ゆや)と記載しているが、
それは熊野が田辺市に編入される以前、西牟婁郡大塔町であった時は、「ゆや」と呼ばれていたからだ。日本郵政の郵便番号検索で、「646-1321」を見れば両者が記載してある。何故、「ゆや」を「いや」に変えたのか分からないが、御坊市熊野(いや)に倣ったのかも知れない。町村合併で古来からの伝承の地名が消えるのは残念なことだ。 

堺市に熊野(くまの)町があるが、小学校の名は熊野(ゆや)小学校である。堺市が配布している「広報さかい」によると、もとは湯屋(ゆや)町で、湯屋(風呂屋)が多く並んでいたことに由来する。当地にあった熊野神社にちなみ「熊野」に改字し、読み方も「くまの」に変わったが、小学校などに「ゆや」の読みが残っていると説明している。
田辺市熊野の旧称「ゆや」からすると、堺市の熊野町も、もともと熊野(ゆや)であったと考えられる。風呂屋が多かったから湯屋(ゆや)町、誰がこんな由来を言い出したのだろうか。 

熊野を音読みすると「ユウヤ」か「ユヤ」である。堺・御坊・大塔の「熊野」は、昔は「くまの」と呼ばれていたが、熊野詣が盛んになって、熊野本宮大社がある「熊野(くまの)」と紛らわしいので、音読みして「ゆや」と読ました、また御坊市の熊野は「いや」に転訛したと考える。堺・御坊・大塔は熊野古道の道筋にある。

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