SSブログ

8-5.朱の産地を探る科学のメス [8.朱は武器なしで国を平定]

前期前方後円墳である、桜井茶臼山古墳からは81面の銅鏡片が出土、石室は約200kgの朱で塗られていた。大和天神山古墳からは20面の銅鏡と41kgの朱が出土、椿井大塚山古墳からは37面の鏡と10kgを超える朱が出土、黒塚古墳からは34面の鏡が出土し、木棺内や粘土床には朱が使われていた。 

近年、水銀朱(HgS)の産地をイオウ同位体分析により同定しようという、科学的手法が取り入れられた。イオウの同位体の32Sと34Sの比が、標準値からどの位離れているかを測定して産地の推定を行っている。中国の主要な水銀鉱山の朱のイオウ同位体比(δ34S)は、プラスの値を示すが、日本の水銀鉱山(除く北海道)では、プラスは測定18鉱山中3ヶ所のみで、残りはマイナスである。
 

大和の前期前方後円墳から出土した朱の、イオウ同位体比は何れもマイナスの値を示す。ホケノ山古墳は-5.4、大和天神山古墳は-6.1、中山大塚古墳は-5.2である。古墳から出土する朱は、魏志倭人伝の記述から中国から持ち込まれた物と考えられていたが、それが科学的に否定され、国内で産出した水銀朱だとされるようになった。朱は倭国が魏に献上したとする私の考えは、間違いではなかった。
 

三重県丹生鉱山が-8.88±2.69、奈良県宇陀の大和水銀鉱山が-3.13±3.47で、ホケノ山・大和天神山・中山大塚古墳の値は両者の中間である。纒向遺跡出土の外来系土器は、東海系土器が非常に多い事は良く知られている。最近の研究では、東海系土器は尾張地方でなく、伊勢地方だそうだ。大和王権時代の朱は、三重県伊勢と奈良県宇陀の両方の朱が使われていたのかも知れない。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。