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8-4.宇陀の河原で水銀精製 [8.朱は武器なしで国を平定]

磐余彦尊は夢に現れた天神の教えに従い、天の香具山の赤土で平瓦・厳瓮・手抉を作り、丹生の川上に登って天神地祗を祭っている。書紀は次のように書いている。「宇陀川の朝原で水の泡がかたまりつく所があった。」「沢山の平瓦で水なしに飴を作ろう、もし飴が出来ればきっと武器を使わないで天下を平定することが出来る。」「厳瓮を丹生の川に沈めよう。もし魚が浮いて流れたら、この国を平定出来る。」「丹生の川上の榊を根こそぎ抜いて、諸々の神をお祀りされた。」 

「沢山の平瓦で水なしに飴を作ろう」
が意味するところの手掛かりは飴にある。古代の飴は水飴であるが、その水飴に例えた物は「水銀」と考える。水銀は銀白色の液体で、土製の器(手抉)に入れるとドロドロとして丸みをおび、水飴に見えたのであろう。丹生の川上で丹砂から水銀を造り出したと思われる。

「宇陀川の朝原」
「丹生の川上」は何処にあたるのだろうか。神武天皇聖蹟調査では、丹生川上丹生川上神社中社に比定している。しかし、この地は吉野巡幸に通った所で、丹生の川上に該当する地ではない。丹生の川上は宇陀に在るはずだ。宇陀郡資料に「丹生神社、宇賀志村大字入谷鎮座。入谷、元は丹生谷と書かせり、神武天皇の丹生川上に祭り給うは、この地ならんかと云えり。」とあるが、入谷川は芳野川の支流であり、宇陀川の朝原との関連性がない。 

「水の泡がかたまりつく所」とは、川の流れが淀み、比重の重い丹砂が堆積している所と理解する。「宇陀川の朝原」で、平瓦に丹砂の混じった砂をのせ、水中でゆすって丹砂を採取したのであろう。宇陀川の支流の丹生川に、丹砂の鉱脈や露頭があったと考える。ただ、宇陀川の支流で、丹生と名の付く川は現在ない。 榛原区雨師字朝原にある丹生神社が、その地であるとの説がある。ただ、丹生神社は山の中腹にあり、宇陀川の支流の笠間川とは、1kmも離れている。また、笠間川の上流には水銀鉱山や鉱床の露頭はなく、笠間川が丹生川には成りえない。

私は「宇陀川の朝原」は、宇陀川の川沿いにある大宇陀区の迫間・中庄であると考える。この地は古来、阿騎野と呼ばれ、万葉集にも出て来る朝廷直轄の狩猟場である。阿騎野から2km宇陀川を遡ると大東水銀鉱山がある。阿騎野では黒木川・本郷川が宇陀川に流れ込み、それらの支流の上流には黒木水銀鉱山・神戸水銀鉱山がある。阿騎野の地は、丹砂が川の淀みに堆積した可能性が高い所である。 

「厳瓮を丹生の川に沈めよう。もし魚が浮いて流れたら」。丹砂を厳瓮(御神酒瓮)に入れて400度程度に加熱すると、水銀蒸気と亜硫酸ガスが発生する。このガスを水中に入れると、水銀蒸気から球状の水銀が取れる。また、亜硫酸ガスは毒性がり、水に溶けるので魚が死んで浮かんでくることになる。厳瓮を沈めた丹生川は、黒木川だと考える。「丹生の川上の榊を根こそぎ抜いて、諸々の神をお祀りされた。」とは榊を根こそぎ抜いて水銀鉱床の露頭を見つけ、そして厳瓮を飾って神々に感謝したことを意味しており、その場所は黒木川の川床に水銀露頭が見つかった八王子神社あたりと考える。阿騎野にある阿紀神社の古文書には、神武天皇が当地において御祖の神を敬祀ったと書いてあるそうだ。 

なお、弥生時代・古墳時代に使用された赤色の顔料は、真っ赤な朱(丹砂・朱砂・辰砂)と黒ずんだ赤色のベンガラの両者がある。総称して丹と言っているが、前者を「真赭・まそほ」、後者が「そほ・赭」と呼んだ。朱は硫化水銀で色も鮮やかで高価なもの、ベンガラは酸化第二鉄で安物であるが、両者の区別は難しい。磐余彦尊が行った水銀の精製は、丹砂が間違いないと確認する方法だったと思われる。その方法は朱を献上せよと言って来た魏の役人が、伊都国の丹砂の工人に伝授したものだろう。
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