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8-2.丹砂の探索、熊野から吉野へ [8.朱は武器なしで国を平定]

当初、磐余彦尊は大和を攻め落としてから、紀伊に丹砂を探索に行こうと考えていた。しかし、大和の敵は強く、兄の五瀬命が傷つき退却を余儀なくされたので、紀伊南部の丹砂を探索してから大和に攻め込んでも、日神の威光をかりて、敵を攻めることが出来ると考えた。 

238(戊午)年6月23日、磐余彦尊は
名草邑で女賊の名草戸畔を誅している。名草邑名草山周辺と定説通りと考える。その後、遂に狭野を越えて、熊野神邑に至り天磐盾に登っている。佐野は該当する地名がないが、「遂に」の表現から、佐野は熊野の境界に当たり、のあ有田市宮崎町あたりと考える。熊野の神邑は須佐神社のあたり、有田・湯浅・吉備・金屋の地域を指すと考 える。須佐神社は、「新抄格勅符抄」では10戸与えられた古い神社で、素盞鳴尊を祭神としており、この周辺を神邑と呼ぶに相応しい。図21白山.jpg

磐余彦尊が神邑で登った天磐盾は、吉備の田殿丹生神社の裏山にある白山に比定する。白山はみごとな形の神奈備山で巨大な磐座がそそり立っており、天磐盾と言える。
 田殿丹生神社から5キロ東に白岩丹生神社があり、その中間に丹生の地名がある。田殿丹生神社の祭神は丹生都比売神、白岩丹生神社は罔象女神である。罔象女神は水神だが丹生の神でもある。丹生都比売神より罔象女神の方が古いと言える。 松田寿男氏の『丹生の研究』により、「丹生」と付く地名は、丹砂(朱砂・辰砂・水銀朱・朱)が取れる地とされている。有田市からは4個の銅鐸と6個の銅戈が出土しているが、これらはこの地で取れた丹砂が関係すると考える。 

磐余彦尊は軍を勧め、海を渡るとき急に暴風に遇い、兄の稲飯命と三毛入野命を亡くした。暴風にあった海は、有田から紀伊水道を通り、日ノ御崎を廻って太平洋に出てからの事だった。そして避難した所が御坊市であったと考える。
御坊市の近くの日高川町和佐には丹生神社があり、和佐の山中には古くからの和佐水銀鉱山がある。和佐の近くの江川にも、丹生大明神告門出て来る丹生神社があり、江川上流の真妻山の南山麓の印南町には、丹生という地名がある。御坊市からは4個の銅鐸が、南部などの日高郡からは14個の銅鐸が出土している。 

磐余彦尊と皇子の手研耳命は軍を率いて進み、熊野の荒坂の津(丹敷浦)に着き、女賊の丹敷戸畔を討っている。女賊の邑とは、男が航海に出ている海人の邑の事であろう。荒坂の津を田辺湾に比定する。
 そのとき神が毒気を吐いて、人々は病み伏してしまい、皇軍は起き上がる事が出来なかったとある。神の毒気とは温泉のことで、人々が病み伏し起き上がれなかったのは、温泉に入った後に眠り込んでしまったことを表わしていると考える。田辺湾の端には白浜温泉がある。飛鳥時代には天皇が行幸していることからして、3世紀には近隣の人に知られていたであろう。 

この時、高倉下が韴霊
(ふつみたま)という剣を磐余彦尊に献上している。この剣は武甕雷神が出雲で国譲りに携えたものであった。この高倉下については、書紀はこれ以後、全く記載していない。一方、神武天皇が即位後に橿原宮で行なった論功行賞では、それまで全く記載のない剣根が葛城国造に任じられている。高倉下と剣根は同一人物で、熊野の岬に来たという少彦名命の子孫、御坊市堅田遺跡に住んでいたと考える。少彦名命は高皇産霊尊の子であり、高倉下(剣根)は高皇産霊尊の子孫となる。新撰姓氏録の大和の神別には、葛城忌寸は高御魂命(高皇産霊尊)の五世孫、剣根命の子孫であると記載があり、つじつまが合う。 

丹敷戸畔というからには丹生と関係があるはずであるが、田辺湾周辺には丹生神社がない。しかし、田辺市からは6個の銅鐸が、白浜町・上富田町からは4個の銅鐸が出土している。必ずや丹生が存在するはずだ。
日高川上流の温泉で有名な田辺市龍神には、丹生神社があり丹生川が流れ、龍神鉱山からは朱砂が採れている。田辺から龍神までの道は、標高634メートルの虎ヶ峰峠を越えるとすぐである。軍は道臣命(日臣命・大伴氏の先祖)を監督者として、八咫烏の案内で龍神に向かった。八咫烏は高倉下の家臣で、朱砂の探訪で紀州の山の情報に長けていたと考える。 

図22神武東征ルート.jpg龍神から丹生川を遡り、奈良県側の上湯川を下り、熊野本宮大社より約15km上流の十津川温泉に出る。近くの玉置山(1077m)には、神武天皇が石の上に玉を置いて武運を祈願したとの伝承がある。山頂近くの玉置神社は、熊野三山の奥の院と言われ、天照大神や神武天皇を祀り、古には皇室の尊崇が厚かった。
 十津川を北上し、吉野郡大塔村坂本から天辻峠を越えて西吉野郡永谷に出て、宗川から丹生川に出て遡り、丹生川上神社下社近くの吉野郡下市町丹生に進んだ。そこから山を下り、吉野川を渡って、宇陀の下県穿邑に着いた。宇陀の穿邑は、宇陀市莬田野区宇賀志に比定されている。

 

                                                    (図をクリックすると大きくなります)

 


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