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6-2.神代は弥生時代 [6.実在した神代の世界]

神話はどのようにして出来たものであろうか、創造力豊かな人の創作であろうか。それとも歴史上の事実が伝承されていくうちに、人が神格化され、動植物が擬人化され作り上げられたのであろうか。私は後者であると考える。「始めに事実有りき」であろう。神話に出てくる事物と、考古学の弥生遺物を重ね合わせて見る。

a)玉飾りの矛、十握の剣、白銅鏡  
    神話には矛と剣、鏡の青銅器が出てくる。矛・剣・鏡の青銅器が登場するの
は、弥生時代の中期以
  降。銅鐸の話は神話には登場して来ない。
b)鹿の皮のフイゴ、鏡や矛を作る  
    須久・吉野ヶ里・安永田の弥生遺跡からフイゴの羽口や矛や鏡の鋳型が出土。
c)五百箇の御統、八坂瓊の曲玉
   
御統とは、勾玉や管玉などを緒に通して首飾りにしたもので、五百箇の御統とは、珠が五百箇ある
  首飾りである。
平原遺跡出土のものを、数えてみると約470個の珠があった。
弥生時代、勾玉は
  ヒスイ、管玉は碧玉・
緑色凝灰岩で作られた。後期にはガラス製の勾玉や管玉が出土する。
d)太占で占う  
  太占は鹿の肩を焼いて裂け目で占う事。魏志倭人伝にも「骨を焼きて卜し
吉凶を占う」とある。卜
  骨が青谷上寺池遺跡等の弥生遺跡から出土。

e)狭田・長田・畔
   
弥生時代の水田遺跡の大部分は、大きい畔で大区画を設けて、その中を小さい畔で小区画に区分し
  ている。小区画の規模と形態は地形による。小区画は10~200㎡程度で40~50㎡の規模が
   多い。狭田・長田・畔が存在。
f)稲・稗・麦・豆・桃・栗  
    唐津市の菜畑遺跡からは米・粟・稗・そば・大豆・麦の五穀や栗・桃が出土。
g)杉と樟は船、槇は寝棺、檜は宮  
    糸島市の潤地頭給遺跡から弥生時代終末期の、部材が杉と樟の準構造船出土。
古墳時代の割竹木棺
  は高野槇、弥生時代の田能遺跡(尼崎市)の木棺は高野槇。
池上曽根遺跡の大型建物、年輪年代で伐
  採が紀元前52とされた柱は檜。
h)蚕・繭・麻・機織
    北九州の
14の弥生遺跡から絹が出土している。魏志倭人伝には「蚕桑緝績」とあり、カイコを桑
    で飼って糸を紡いでいるし、卑弥呼が魏王に倭錦(絹織物)を贈ってもいる。
登呂・唐古遺跡からは
  機織具が出土している。

i)牛・馬・鶏  
    魏志倭人伝は倭国に牛馬はいないと書いてあり、考古学界では日本に馬が入って来たのは、古墳に
  馬具が副葬される5世紀になってからの事としている。
34ヶ所(愛知高蔵遺跡、神奈川鴨居遺跡
   など)の弥生遺跡から馬骨が出土。
  また、原の辻・土井が浜からは牛骨が出土。弥生時代の牛馬
  の可能性を残す。
唐古鍵遺跡より鶏の骨や、鶏の土製品が出土している。
 

日本書紀の神代に出てくる事物は、すべて弥生時代の遺跡から出て来る遺物であり、
神代に書かれた神話の世界は、弥生時代を描いたものだという事が分かる。特に注目したいのは出雲のことだ。神話では出雲は重要な地域として扱われている。荒神谷遺跡から358本の銅剣、加茂岩倉遺跡から39個の銅鐸が発見されるまで、考古学界では出雲を重要な地域として扱っていなかった。神話の方が弥生の歴史を知っていたのである。 


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