SSブログ

74-9.「空白の世紀」の始まる頃に箸墓古墳が築造された [74.「記紀」で解く「空白の世紀」の150年]

「空白の世紀」の150年(270年~420年)について、これまで、倭国の高句麗・百済・新羅など朝鮮半島との関わりを「倭の五王」の登場から時代を遡って見て来た。それでは、この「空白の世紀」の150年に大和王権(ヤマト王権)が全国に勢力をどのように拡大して行ったかを、「空白の世紀」の始まりから時代を下りながら見て行く。『書紀』神功66年の記事に『晋書』起居注の引用文として、「武帝の泰始二年(266年)十月に倭の女王が貢献した」とある。『晋書』起居注は現存していないが、『晋書』武帝紀の泰始2年には、「十一月己卯、倭人が来たり、方物を献ずる」とあり、266年に倭の女王・壱与が晋の武帝に朝貢したのは確かであろう。この266年が「空白の世紀」の始まりである。

 

Z486.箸墓古墳.png2009年に国立民俗歴史博物館が桜井市箸中にある箸墓古墳(墳長276m)周辺から出土した土器に附着した炭化物をAMS法による炭素14年代測定し、土器の編年とマッチングさせ、箸墓古墳の築造年代を240年から260年であると確定した。古墳時代最初の大型古墳である箸墓古墳の築造年代が、「空白の世紀」の始まりの前夜であったのである。一方、『書紀』は崇神天皇10年に「倭迹迹日百襲姫を箸墓に葬った、その墓は、昼は人が造り、夜は神が造った。大阪山の石を運んで造った。」と記載している。箸墓古墳の後円部頂上に使われている石は二上山(大坂山)の山麓にある芝山(大阪府柏原市)の石が使用されており、『書紀』は史実を伝えているように思われる。「新縮900年表」では、箸墓が造られた崇神天皇10年は260年となる。崇神紀の箸墓築造と、炭素14年代測定の箸墓古墳築造年代と一致している。これらより、古墳時代が崇神天皇の時代から始まり、崇神天皇=御間城姫=壱与とする私の説が成り立ってくる。(この節以後も『書紀』の暦年は全て「新縮900年表」で表示する。)


nice!(2)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。