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43-5.沖ノ島の岩上祭祀遺跡の年代 [43.古墳年代の確定と古墳時代の解明]



K56沖ノ島.png玄界灘のど真ん中にある沖ノ島は周囲4㎞の絶海の孤島である。沖ノ島では4世紀後半から9世紀末にかけて、航海の安全と対外交渉の成就を願って国家的祭祀が行われたと考えられている。島の中腹にある巨岩群からは23ヶ所の祭祀遺跡が発見され、出土した約8万点の遺物は国宝に指定されており、沖ノ島は「海の正倉院」と呼ばれている。沖ノ島には宗像大社の沖津宮が鎮座しており、全島が沖津宮の境内地で厳しく入島が制限され、「神宿る島」として守られてきた。平成21年には「宗像・沖ノ島と関連遺跡群」として世界遺産暫定一覧表に記載され、世界遺産への登録を目指している。





K57沖ノ島岩上祭祀.png沖ノ島では1954年から始まった学術調査によって、4世紀後半から9世紀末にかけての古代祭祀の変遷の様子が明らかになった。祭祀の場は巨岩の上で始まり、岩陰、露天へと時期を追って変遷している。巨岩の上を神が降臨する場として祭祀が行われた「岩上祭祀」は4世紀後半から5世紀、せり出した巨岩の岩陰に祭壇を設け祭祀が行われた「岩陰祭祀」は5世紀後半から7世紀、祭祀の場が巨岩近くの露天となった「半岩陰・半露祭祀」は7世紀後半、巨岩から離れた平坦地で祭祀が行われた「露天祭祀」は8世紀から9世紀と考えられている。





K57岩上祭祀遺跡鏡.png「岩上祭祀」とされる16号・17号・18号遺跡からは、倣製三角縁神獣鏡が出土している。表57にそれらの遺跡から出土した倣製三角縁神獣鏡の段階(型式)を示した。古墳に副葬された鏡と沖ノ島の岩上に祀られた鏡の違いは何であろうか。古墳に副葬された鏡は、数十年あるはそれ以上伝世されている場合が多い。航海の安全を願って沖ノ島の岩上に祀った鏡は、長年の伝世の鏡ではなく、市場(?)に出回っているものを手に入った鏡であったと考える。「岩上祭祀」で出土した鏡のすべてが、倣製三角縁神獣鏡であることがこれを物語っている。沖ノ島の岩上祭祀遺跡である16号・17号・18号は、倣製三角縁神獣鏡が製作されていた年代の340~350年頃から始まった遺跡と考える。




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