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69-1.須恵器の型式の判定基準はイメージ? [69.須恵器の型式をAIで判定する]

古墳の築造年代を決定する指標は、一に円筒埴輪型式、二に須恵器の型式である。円筒埴輪(含む朝顔形円筒埴輪)の型式はⅠ期~Ⅴ期の5型式に分類され、古墳時代の前期から後期までを網羅している。この円筒埴輪の型式は1980年代に30歳代の川西宏幸氏によって構築されたものである。川西氏はその特徴を、焼成(有黒班・無黒班)、2次表面仕上げ(A種ヨコハケ・B種ヨコハケ・ナシ)、底部調整、突帯(突出・台形・山形)、スカシ穴形状(△・▽・□・○)、突帯間のスカシ穴数(3個以上、2個)に分類した。この型式の分類は簡単明瞭で考古学のプロでなくても容易に判定出来る。

 

須恵器の型式は、窯跡の出土資料により型式が決められ編年されている。窯の出土資料を型式に採り入れたのは森浩一氏であった。堺市・和泉市にまたがる泉北丘陵には須恵器の窯跡が多数発見され、陶邑窯跡群と呼ばれている。田辺昭三氏は泉北丘陵で初めに開発された陶邑窯跡群の東半の高蔵(TK)・陶器山(MT)地域の窯跡から出土した須恵器の編年を行い、古墳時代に限ってみればⅠ期(5型式:TK73TK47)・Ⅱ期(5型式:MT15TK209)に分類している。中村浩氏はその後に開発された陶邑窯跡群の西半の栂(TG)・大野(ON)・光明池(KM)地区から出土した須恵器を加えて、古墳時代に限ってみればⅠ型式(5段階)、Ⅱ型式(6段階)に編年している。ただ、古墳の遺物としての須恵器の型式は、1983年に発表された田辺昭三氏の編年に基づいて表記されている場合が多い。

 

これら陶邑須恵器編年について植田隆司氏は、「古墳時代須恵器編年の限界と展望」(2008)の中で、「従前の陶邑須恵器編年を、古墳時代中期・後期資料の時期を判断する時間尺として活用する場合、現時点においては、次の2つの問題が内在している。1点めは各型式の実年代比定の問題である。古墳の築造年を推定する際に、研究者によって須恵器の特定の型式に想定する実年代が大きく異なり、研究上の障害になりつつある。2点めは、研究者間において須恵器編年(型式同定)観が概ね等しく共有されていないことである。田辺編年を用いて特定資料の型式を同定する場合、各人が標式として念頭に置く基準資料のイメージと照らし合わせることになるが、この概念的な基準資料のイメージが研究者によって大なり小なり異なっている。このため、ある研究者がTK43型式と判断する杯身は、他の研究者にはTK209型式と判断されてしまう事態も発生する。」と述べている。

 

Z362.須恵器の型式編年.png植田氏が指摘する1点めの実年代については、私は全国の前方後円墳(6305基、含む前方後方墳)のなかから、須恵器の型式が明らかにされている216基の古墳について、古墳の遺構・遺物の関係を調べ、須恵器の年代を10年単位で割り出した(表Z362)。しかし、2点めの須恵器型式の同定については、その判定基準が私にはブラックボックスで、手におえるものではない。須恵器型式の同定は研究者個人の標式として念頭に置く基準資料のイメージと照らし合わせて行われているようだ。現在、AI(人工知能)での画像処理はめざましく発展しており、顔認識システムが犯罪捜査で威力を発揮している。須恵器型式の同定もイメージからAIで画像処理する時代になるのではないかと考える。それに先駆け、須恵器の型式をAIで判定することに挑戦してみたい。

 

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