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68-10.記紀が定めた天皇陵は規模・年代に齟齬は無い [68.記紀は史実に基づいて天皇陵を定めている]

円筒埴輪の型式ⅣをB種ヨコハケで細分化する埴輪検討会編年(Z355)において、御廟山古墳はⅣ-1に属し、大仙古墳と田出井山古墳はⅣ-2に属し、ニサンザイ古墳はⅣ-3に属している。ニサンザイ古墳と御廟山古墳のBb・Bc・Bd・タテハケの比率を求めてみた。宮内庁書陵部発行の陵墓関係報告書の円筒埴輪の図面を見ていていると、ひとつの円筒埴輪の中にBbとBc、あるいはBcとBdの両者があることが分かった。そのため、突帯と突帯の間の段ごとにB種ヨコハケの種類を決めることにした。なお、最上部で広く開いている段、最下段の底部の段、片側の突帯の無い段はデータを取る対象としなかった。

Z355.円筒埴輪の編年.png

 

Z360.Bd出現頻度.pngZ360の表において、BcとBdは同じで技法であるとして合計すると、御廟山古墳とニサンザイ古墳の値(Bc+Bd)はどちらも82%と同じである。そして、Bbは御廟山古墳が7%多く、タテハケはニサンザイ古墳が6%多いことから、傾向としては御廟山古墳(Ⅳ-1)よりニサンザイ古墳(Ⅳ-3)の方が新しい傾向にはあるが、時代を画するまでではないと思える。それならば、田出井山古墳(Ⅳ-2)とニサンザイ古墳(Ⅳ-3)の比較において、両者に差があるのか疑問が湧いた。

 

田出井山古墳(反正天皇陵)の円筒埴輪資料は、宮内庁が平成6年に刊行した「埴輪Ⅱ」の出展目録には胴部が8個とあり、それ以降の宮内庁書陵部の調査でも円筒埴輪片が採取されたのは僅かである。堺市は昭和55・62年に田出井山古墳の宮内庁管轄外の二重濠・外堤の発掘調査を行い、円筒埴輪の樹立痕は無かったが、多量の円筒埴輪片を採取している。昭和55年の調査報告書ではサンプル92片の中で外面調整について、①B種ヨコハケ(過半数を越える)、②タテハケ(含むナナメハケ)、③A種ヨコハケ(例外的)の順位としている。

 

円筒埴輪の最下段の底部の段の外面調整は、ヨコハケが施されることなくタテハケのみである。また、広く湾曲している口縁部の外面調整もタテハケが多い。円筒埴輪の外面調整の種類の比率を求める場合、これらを除外しなければならない。埴輪片でタテハケと判定できるのは、タガ(凸帯)の両側がタテハケである場合のみである。そういう目で昭和55年の92片の図面を見ると、ヨコハケ53片、タテハケ4片でタテハケ比率は7%である。昭和62年の調査報告書では、外面調整のコメントは無いが、45片の図面から前掲の条件でデータを集計するとヨコハケ33片、タテハケ4片でタテハケ比率は11%であった。

 

円筒埴輪の外面調整におけるタテハケの比率は、田出井山古墳が7〜11%、ニサンザイ古墳が8%であり、両者の円筒埴輪はほぼ同じ時期に製作されたと思われる。そもそも、履中天皇の崩御と反正天皇の崩御の差は記紀共に5年である。円筒埴輪の制作は古墳造成の最終段階で、天皇が崩じられた後に作られるとするならば、両古墳の円筒埴輪の制作時期の差も5年となる。この5年で制作技法に時代を画するような差が現れてくるようにも思えない。天皇陵は皇太子になった年から後円部の造営を行う寿陵であり、大仙古墳が仁徳天皇陵、土師ニサンザイ古墳が履中天皇、反正天皇陵が田出井山古墳に比定出来る。

 

大阪府立狭山池博物館では「樹木年輪と古代の気候変動」の令和元年特別展を開催していた。この特別展では、ニサンザイ古墳の北側くびれ部の周濠から笠形木製品などと折り重なって出土したヒノキ製の板状木製品の年輪年代が“427年+α”と測定され、辺材幅が3.8センチとかなり広く、樹皮直下の年輪に近いところまで遺存していることから430年頃の伐採と推定されていた。「縮900年表」によれば履中天皇の崩御は437年であり、年輪年代測定はニサンザイ古墳が履中天皇陵であることに肯定的である。

 

私は全国の前方後円墳(6305基、含む前方後方墳)のなかから、円筒埴輪の型式が明らかにされている977基の古墳について、円筒埴輪の型式(川西編年)と古墳の遺構・遺物の関係を調べた。それらの間に齟齬をきたすような事例は僅かであり、川西編年の素晴らしさを実体験した。B種(Bb・Bc・Bd・欠落)ヨコハケは全国の古墳で見受けられる。しかし、埴輪検討会編年が百舌鳥・古市古墳群のみしか適用できないのは、宮内庁管理の陵墓・陵墓参考地からの資料数が少ないことが原因していると思われる。出現頻度により年代を決める場合、資料が少ないと「群盲象を評す」となってしまう。

 

これで前方後円墳に治定されている天皇、崩じた年が分かっている皇后の御陵の全てを比定することが出来た。宮内庁の治定と変わったのは、仲哀天皇陵が津堂城山古墳(陵墓参考地)、履中天皇陵が土師ニサンザイ古墳(陵墓参考地)、雄略天皇陵が河内大塚古墳(陵墓参考地)、仁賢天皇陵が岡ミサンザイ古墳(現仲哀天皇陵)、継体天皇陵が今城塚古墳(国の史跡)、宣化天皇陵が平田梅山古墳(現欽明天皇陵)、欽明天皇陵が見瀬丸山古墳(陵墓参考地)の7陵であった。Z361見直した後の天皇陵の一覧を示す。記紀が記載した陵墓の地、古墳の規模や形態、考古学上の埴輪型式や須恵器型式の年代、そして「縮900年表」の天皇崩御の年に齟齬は生じていない。それは『古事記』『日本書紀』が史実に基づいて天皇陵を定めているからである。

Z361.天皇陵・皇后陵.png

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69-1.須恵器の型式の判定基準はイメージ? [69.須恵器の型式をAIで判定する]

古墳の築造年代を決定する指標は、一に円筒埴輪型式、二に須恵器の型式である。円筒埴輪(含む朝顔形円筒埴輪)の型式はⅠ期~Ⅴ期の5型式に分類され、古墳時代の前期から後期までを網羅している。この円筒埴輪の型式は1980年代に30歳代の川西宏幸氏によって構築されたものである。川西氏はその特徴を、焼成(有黒班・無黒班)、2次表面仕上げ(A種ヨコハケ・B種ヨコハケ・ナシ)、底部調整、突帯(突出・台形・山形)、スカシ穴形状(△・▽・□・○)、突帯間のスカシ穴数(3個以上、2個)に分類した。この型式の分類は簡単明瞭で考古学のプロでなくても容易に判定出来る。

 

須恵器の型式は、窯跡の出土資料により型式が決められ編年されている。窯の出土資料を型式に採り入れたのは森浩一氏であった。堺市・和泉市にまたがる泉北丘陵には須恵器の窯跡が多数発見され、陶邑窯跡群と呼ばれている。田辺昭三氏は泉北丘陵で初めに開発された陶邑窯跡群の東半の高蔵(TK)・陶器山(MT)地域の窯跡から出土した須恵器の編年を行い、古墳時代に限ってみればⅠ期(5型式:TK73TK47)・Ⅱ期(5型式:MT15TK209)に分類している。中村浩氏はその後に開発された陶邑窯跡群の西半の栂(TG)・大野(ON)・光明池(KM)地区から出土した須恵器を加えて、古墳時代に限ってみればⅠ型式(5段階)、Ⅱ型式(6段階)に編年している。ただ、古墳の遺物としての須恵器の型式は、1983年に発表された田辺昭三氏の編年に基づいて表記されている場合が多い。

 

これら陶邑須恵器編年について植田隆司氏は、「古墳時代須恵器編年の限界と展望」(2008)の中で、「従前の陶邑須恵器編年を、古墳時代中期・後期資料の時期を判断する時間尺として活用する場合、現時点においては、次の2つの問題が内在している。1点めは各型式の実年代比定の問題である。古墳の築造年を推定する際に、研究者によって須恵器の特定の型式に想定する実年代が大きく異なり、研究上の障害になりつつある。2点めは、研究者間において須恵器編年(型式同定)観が概ね等しく共有されていないことである。田辺編年を用いて特定資料の型式を同定する場合、各人が標式として念頭に置く基準資料のイメージと照らし合わせることになるが、この概念的な基準資料のイメージが研究者によって大なり小なり異なっている。このため、ある研究者がTK43型式と判断する杯身は、他の研究者にはTK209型式と判断されてしまう事態も発生する。」と述べている。

 

Z362.須恵器の型式編年.png植田氏が指摘する1点めの実年代については、私は全国の前方後円墳(6305基、含む前方後方墳)のなかから、須恵器の型式が明らかにされている216基の古墳について、古墳の遺構・遺物の関係を調べ、須恵器の年代を10年単位で割り出した(表Z362)。しかし、2点めの須恵器型式の同定については、その判定基準が私にはブラックボックスで、手におえるものではない。須恵器型式の同定は研究者個人の標式として念頭に置く基準資料のイメージと照らし合わせて行われているようだ。現在、AI(人工知能)での画像処理はめざましく発展しており、顔認識システムが犯罪捜査で威力を発揮している。須恵器型式の同定もイメージからAIで画像処理する時代になるのではないかと考える。それに先駆け、須恵器の型式をAIで判定することに挑戦してみたい。

 

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