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68-9.Bd種ヨコハケを解剖する [68.記紀は史実に基づいて天皇陵を定めている]

『百舌鳥・古市の陵墓古墳』(近つ飛鳥博物館、2011年)の「百舌鳥・古市古墳群と円筒埴輪研究」には、外面2次調整のB種ヨコハケをBb・Bc・Bdに細分した埴輪検討会の円筒埴輪編年表が掲載されている。Z355はそれを書き直したものである。『近畿地方における大型古墳群の基礎的研究』(六一書房、2008年)の中で、堺市文化財課の十河良和氏は、「田出井山古墳の円筒埴輪について、外面2次調整のB種ヨコハケは欠落する割合が低く、Bb種・Bc種が主体である。Bc種・Bd種ヨコハケが主体となり、外面2次調整が中型品で2割以上欠落する土師ニサンザイ古墳より、田出井山古墳のほうが先行する可能性が高い。」と述べている。要は、B種ヨコハケが「Bb→Bc→Bd→欠落」と変遷する中で、田出井山古墳はBb・Bcが主体で、ニサンザイ古墳はBc・Bdが主体であり、その上ヨコハケの欠落(タテハケ)が2割以上あり、ニサンザイ古墳の方が田出井山古墳より新しいという論拠であった。これでは、ニサンザイ古墳が履中天皇、反正天皇陵が田出井山古墳ということが全く否定されてしまう。B種ヨコハケの細分化による編年がそれほど正確なものか、特に編年の決め手になっているBdヨコハケについて検討することにした。

 

平成20年に御廟山古墳(陵墓参考地)で宮内庁が墳丘調査を、堺市が濠の調査を同時期に行つている。また、平成24年にニサンザイ古墳(東百舌鳥陵墓参考地)でも同様の調査が行われている。これらは宮内庁書陵部発行の陵墓関係報告書に詳細が記載されており、全ての円筒埴輪の図面が掲載されている。出土した埴輪と底部がある埴輪の数からみると、御廟山古墳から出土した円筒埴輪の総数は60〜70本で、ニサンザイ古墳からは80〜90本であるように思えた。

 

Z355.円筒埴輪の編年.png

陵墓関係報告書の図面を見ていて思ったことは、ハケの静止痕が垂直なのがBc,斜めに傾いているのがBdと明確に分かれているのではなく、その中間でどちらに判断したらよいか分からないものが多数あることであった。ハケの静止痕が斜めになるBdのハケ目はどうしたら付けられるか、Z356にその模式の写真を示した。ハケが直線の場合は、①のように円柱に垂直にハケをあてると、静止痕が垂直なBcとなる。②ハケを斜めにしたのではハケの両端に隙間が出来、Bdヨコハケは不可能である。③のような弓形のハケでは、ハケを円柱に垂直に当てると、ハケの中央に隙間が出来る。④のようにハケを斜めすると隙間はなく静止痕は斜めのBdとなる。Bdヨコハケはハケが弓形に凹んでいることから起る現象である。

 

Z356.直線ハケと弓形ハケ.png

Z357の模式図により、御廟山古墳とニサンザイ古墳の円筒埴輪に現れたBdの静止痕の長さ(d)と円筒埴輪の軸と静止痕の角度(θ)、円筒埴輪半径(b)から、弓形ハケの凹み矢高(h)を求めた。hを求める公式は複雑なので記載しないが、興味ある人はグーグルで調べれば分かる。Z358に結果を示す。

 

Z357-Z358.Bd静止痕.png

Z359.ハケの凹みと静止痕角度.pngZ359からハケの中央部の凹みに応じて静止痕の傾きが大きくなっていくことが分かる。直径30〜40cmの円筒において、7〜8cmの幅のハケで、その中央が0.25mm凹めば15度傾き、0.5mmで25度、1mmで45度傾いた静止痕が出来る。このようなハケに凹みが出来る原因は、ハケを垂直にしてBcヨコハケの静止痕が生じる作業をするとき、実際には少しハケが傾き両端がほんの僅か隙間が出来る。その状態で全面が当たるようにハケ目を作ると、ハケの中央が両端より少し大きく食い込む。そのような作業を繰り返し続けていくとハケの中央部が両端部より磨耗してくる。ハケが弓形のように中央が凹むと、ハケを傾けないとハケの全面があたらなくなる。

 

ヨコハケが断続的で静止痕が重なる(ハケが表面より離れる)A種ヨコハケ、ヨコハケが継続的で静止痕が一筋(ハケが表面より離れない)B種ヨコハケの違いは、人が廻って作業するか、円筒埴輪を回して作業するかの違いで、回転台の登場という大きな画期がある。BbヨコハケとBcヨコハケの違いには、突帯間隔が均一になることで起り、突帯間隔を決める治具の開発という画期がある。それらに比べ、Bdヨコハケの斜めの静止痕は、作業の熟練度等により起るハケの弓形磨耗により生じるもので、Bcヨコハケと本質的には同じで、新たな技法が生じたわけではない。


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