SSブログ

67-8.三種の神器は大和王権への忠誠を示す [67.古墳時代は前方後円墳の時代]

三角縁神獣鏡は日本全国から約500面(舶載375面、仿製128面)も出土しているが、古墳から出土したことが確認されているもののほとんどが前期古墳からであり、前期古墳の指標の一つとなっている。三角縁神獣鏡が出土した古墳・遺跡の分布を図Z308左に示している。分布の中心が奈良県にあること、また、奈良県天理市の黒塚古墳からは33面、京都府山科町の椿井大塚山古墳からは32面の三角縁神獣鏡が出土し、その同型鏡が関東から九州まで全国各地から出土していることを考えると、大和王権が三角縁神獣鏡を配布したことは間違いないと思われる。『書紀』には天皇が諸国に鏡を配布した記事は無い。しかし、景行40年[321年]、日本武尊が蝦夷の討伐に東征したとき、船に大きな鏡を掲げて上総から陸奥に向かっている。鏡は権威の象徴であったのであろう。

 

Z308.三角縁神獣鏡と三種神器.png


景行12年[308年]の記事には、景行天皇が熊襲を征伐するため筑紫に向かったとき、周防の娑麼(山口県佐波)で、その国の首長が船の舳に立てた賢木に八握剣・八咫鏡・八坂瓊勾玉を飾り天皇に参じている。同様のことが、仲哀8年[345年]、仲哀天皇が筑紫を巡幸されたとき、岡県主の先祖の熊鰐と伊都県主の先祖の五十迹手は、船の舳に立てた賢木に白銅鏡・十握剣・八坂瓊勾玉を飾り、天皇をお迎えしている。三種の神器は大和王権への忠誠を示す印であったのであろう。図Z308右は三種の神器(鏡・剣・勾玉)が出土した前期古墳の分布図である。三角縁神獣鏡と三種の神器の分布は全く同じで、大和王権に忠誠を誓う象徴として地方の豪族に配布されたのであろう。

 

『書紀』成務5年[339年]の記事には「諸国に令して国郡に造長を立て、県邑に稲置をおき、それぞれに盾矛を賜って印とした。」とある。これが史実かどうか確かめるために、前期古墳から出土した盾・矛を調べてみた。盾が出土した前方後円墳はただの3基だけで、あと2基からは漆塗りの盾らしきものが出土している。盾の材質が皮製であったため、残存しているものが少ないのだと想像する。矛が出土したのは30基で、矛の材質は全て鉄矛であった。

 

盾と矛の両方が出土した前期古墳は、大阪府和泉市の黄金塚古墳(墳長85m:360〜370年)の1基のみである。黄金塚古墳の東槨から革製漆塗盾と鉄矛が、三角縁盤龍鏡・画文帯四神四獣鏡などと共に出土している。同時合葬と思われる中央槨から出土した画文帯四神四獣鏡には「景初三年」の銘文が刻まれていた。「景初三年」は邪馬台国の女王・卑弥呼が魏に朝貢し鏡百枚を賜った年である。三角縁盤龍鏡・「景初三年」銘の画文帯四神四獣鏡は大和王権から賜ったものと思われる。黄金塚古墳の南南西6Kmに、前期では和泉で最大の摩湯山古墳(墳長200m:300〜360年)がある。摩湯山古墳・黄金塚古墳は和泉の国造に繋がる王の墓であろう。


nice!(2)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。