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67-5.前方後円墳の被葬者は誰か [67.古墳時代は前方後円墳の時代]

Z302.古墳の被葬者.png前方後円墳が造られた時代は250年から600年までの350年間で、その間の天皇は崇神天皇から欽明天皇まで20代である。Z302において規模別の古墳数Aを20代で割り、天皇一代当たりの古墳数を出したのがBである。古墳時代の地方組織は国と県で、地方に造られた前方後円墳は国造・県主の墓であると考えられる。『日本歴史地図 原始・古代編下』には「国造一覧」「県・県主一覧」が掲載されている。これを見ると国造は104国、県主は114県であった。Bの古墳数を100で割ったのがCである。

 

墳長が200m以上の墓は、天皇一代当たり全国で2基であり、被葬者は天皇と皇后の墓のレベルである。125m以上の被葬者は皇子や政権に近い国造の墓であろう。125m未満から25m以上のCの合計が2.02で、これらの規模の被葬者は国造・県主の墓であると予想できる。50m以上の墓は国造の墓で、50m未満は国造・県主の墓であろう。前方後円墳が盛んに造られたのは、北海道・青森・秋田・岩手・高知・沖縄を除く41都府県である。これからすると、国造・県主の墓は都府県に2〜3基存在したことがわかる。古墳の規模(墳長)は明らかに階層性を表わしている。

 

Z303.古墳規模の変遷.png6305基の前方後円墳の年代を調べ、前期(250〜400年)、中期(400〜470年)、後期(470〜600年)に層別した。ただし、古墳の年代幅の2/3以上がその期に属していることを条件としている。前期・中期・後期で古墳の規模の変化を表Z303に指す。中期は前期に比べ中型(124〜75m)の古墳の割合が減少し、大型古墳(125m以上)・小型古墳(74〜25m)の割合が増加している。大型古墳の増加は古墳文化が前期より発展したことを示し、小型古墳の増加は後期の萌芽の時期でもあることを示している。後期は大型の古墳が減少し、小型の古墳が増加していることがわかる。後期は大型の古墳が減少したのは、横穴式石室の登場し追葬が行われるようになったためであろう。小型の古墳が増加したのは、大国が分割されて小国が生まれたこと、国造の下部組織が整い郡や邑の制度が整ったことなど、大和王権の全国支配の社会構造の変化があったことが伺える。

 


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