SSブログ

73-12.最古の製鉄遺跡は何処か?北九州市小倉南区 [73.日本の製鉄(製錬)の始まりは何時か?]

福岡県北九州市小倉南区にある5世紀代の3ケ所の遺跡、潤崎遺跡・重留遺跡・長野A遺跡から製煉滓・精練滓が出土している。潤崎遺跡から出土の鉄滓は、T-eは34%、製鉄指標は2.43で典型的な製錬滓で、始発原料はTi2の成分が20%と高く典型的な砂鉄である。砂鉄の製錬滓であることは分析者と一致している。潤崎遺跡は曽根古墳群中に所存する埴輪窯跡で、窯跡に残る焼土の磁気年代測定の結果はAD410年±15年で、また炭素14年代測定では測定値は1640±75BPで、歴博の日本産樹木年輪による較正年代の値でみると410±75年の範囲にあり、年代は5世紀中頃と考えられている。ただ、多数の鉄滓は窯跡近くの土坑の直上を覆う土層から出土している。土坑は窯跡と同じ年代であるそうだが、鉄滓が同じ時代のものであるかどうかは定かでないようだ。潤崎遺跡の窯跡の近くで鉄の製錬が行われたことは確かだが、その時期が古墳時代中期中葉(5世紀中頃)という確証はないらしい。

 

潤崎遺跡の砂鉄製錬滓の成分は、島根県松江市美保関町の5世紀半ばの関谷遺跡出土の砂鉄系製錬滓の成分とほぼ同じである。関谷遺跡は焼土を伴う製鉄遺跡で、炭素14年代測定で440±90年という年代が出ている。5世紀半ばに、鉄の製鉄(製錬)技術は西日本に拡がっていた可能性が推察できる。鉄滓分析の第一人者である大澤氏は、1986年に古墳時代中期後半の潤崎遺跡の鉄滓の分析から、我国では古墳時代中期中葉(5世紀中頃)、北部九州などの一部で鉄製錬が開始されたと唱えたが、それに異論を唱える学者もいて、定説になるまでには至っていない。

 

潤崎遺跡の北北西6Kmにある重留遺跡は5世紀中葉の鍛冶工房跡で、内部から鍛冶炉・鉄滓・羽口・砥石が出土している。ガラス質椀形鍛冶滓は、T-e は24.6%、製鉄指標0.87で、鉱石の製錬滓[椀形鍛冶滓]と判定した。分析者は鍛錬が高温で行われガラス化した鍛錬滓が排出されると説明されている。潤崎遺跡と重留遺跡の中間にある長野A遺跡の5世紀前半~中頃の住居跡から鉄滓が出土している。T-e が50%、製鉄指標は0.99で鉱石の精錬滓[鍛錬滓]と判定した。潤崎遺跡・重留遺跡・長野A遺跡のある北九州市小倉南区の地域は、5世紀代に製錬を伴なう製鉄が始められたと考える有力候補地である。


nice!(2)  コメント(0) 

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。