69-15.狭山池周辺の須恵器窯の型式 [69.須恵器の型式をAIで判定する]
須恵器の生産地である陶邑窯跡群の東端に狭山池がある。狭山池は『日本書紀』では崇神天皇紀に、『古事記』では垂仁天皇記に登場する古い池である。この狭山池周辺に多くの須恵器窯跡が存在している。狭山市立郷土資料館の図録「狭山池築造と須恵器窯」にある“狭山池の須恵器が操業した時期”の表を改変してZ422に示した。Z422をみると、狭山池2号窯の須恵器の型式がTK209,狭山池1号窯と東池尻1号窯がTK217古、狭山池4号窯がTK217新となっている。須恵器型式のAIによる全自動判定で、これらの型式の検証を行ってみた。なお、狭山池周辺の須恵器窯の内、TK43と判定されている大満池南窯、狭山池4号窯と同じTK217新と判定されているひつ池西窯の型式も全自動判定をおこなった。
測定したのは外径(OD)、器高(CH)、立上り(KH)であり、判定に用いた指標はOD、CHXOD、CH/OD、KHである。なお、外径(OD)と立上り(KH)は縮尺より実寸法を算出した。各窯の資料数は15~48個で、4指標の平均値(a)と標準偏差(σ)を求めた。a-σ、a、a+σの値がガウス曲線のA±σの範囲にあれば2点、A±σ~A±1.5σの範囲にあれば1点、それ以外は0点で、各型式の得点を計算した。その得点の割合(24点満点)が最も高い型式が、その坏身の型式となる。狭山池周辺の須恵器窯のAIによる全自動型式判定の結果をZ423に示す。
大満池南窯はTK43、狭山池2号窯はTK209,狭山池1号窯と東池尻1号窯はTK217古と狭山市教育員会(含む郷土資料館)の報告書と同じであったが、狭山池4号窯とひつ池西窯は、私の判定はTK217古、狭山市教育員会の判定はTK217新とくい違がっている。狭山池周辺の須恵器の研究の第一人者であられる植田隆司の「TK217型式の類型化および他型式との相対評価」では、狭山池4号窯とひつ池西窯はTG10-Ⅰ(TK217古)とTG10-Ⅱ(TK217新)にかけて分布しているとあり、AIによる全自動判定もあながち間違ってはないのだろう。「69-11.飛鳥時代前半の須恵器編年は混沌」で述べたように、Ⅱ-6型式とされているTG17窯・TG64窯・TG206窯の坏の型式をⅢ-1としたことが影響していると思われる。
私は、飛鳥時代前半の須恵器の編年・年代は下記のようにまとめている。
中村編年 田辺編年 飛鳥編年 実年代 G坏比率
Ⅱ-4 TK43 560~589年 0%
Ⅱ-5 TK209 590~619年 0%
Ⅱ-6 TK217古 飛鳥Ⅰ 620~639年 0~75%
Ⅲ-1 TK217新 飛鳥Ⅱ 640~669年 75~100%
Ⅲ-2 TK46 飛鳥Ⅲ 670年~ 100%
TK217古と判定した狭山池1号窯は、狭山池築造当初の堤の外側の斜面を利用して造られている。これからすると、狭山池1号窯は狭山池の堤の築造年代よりも後に操業したことになる。この堤の下層から導水のためのコウヤマキ製の樋管が出土している。この下層東樋と呼ばれる樋管の年輪年代測定で616年伐採と出た。狭山池1号窯の須恵器は616年以降に生産されたことが分る。616年にコウヤマキを伐採し樋管を作り、樋管を埋めて堤を造り、その堤に須恵器窯を築造した。そこで焼成した須恵器の型式はTK217古(Ⅱ-6)の飛鳥Ⅰで、年代は620~639年である。狭山池1号窯の須恵器の年代と樋管の年輪年代はピッタリあっている。
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