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69-4.AIによる“はそう”の型式判定 [69.須恵器の型式をAIで判定する]

Z371.はそう測定箇所.png堺市・和泉市にまたがる泉北丘陵の陶邑窯跡群の中で最古の窯跡は、最も平地に近い窯跡であるTK73(Ⅰ-1後)窯と考えられていた。しかし、1986年にTK73窯から石津川を挟んで西1Kmにある大庭寺遺跡が発掘調査され、TK232(Ⅰ-1前)窯跡が陶邑で最古の須恵器窯跡と考えられるようになった。TK232窯とTK73窯から出土する須恵器の器種の違いは、高坏・はそうは両者から出土するが、須恵器の中で最も一般的に使用された坏がTK232窯からは出土していないことである。本節では、須恵器の生産当初からあったはそうについて、AIによる型式判定を行ってみる。はそうの測定箇所はZ371に示した通りで、ガウス曲線を描いた指標は、口径/胴径(MD/BD)、頸径/胴径(ND/BD)、頸長/胴長(NH/BH)、頸径/全長(ND/TH)である。Z372にはそうの型式別形態ガウス曲線を示す。

 

Z372.はそうガウス曲線.png

Z373.布留遺跡出土

古墳時代前期の土師器として有名な布留式土器が始めて出土した天理市の布留遺跡の豊井地区(石上神宮北側)から初期の須恵器が出土し、その中に陶邑Ⅰ-1~2段階に相当するはそうが3点(Z373)あった。これらの指標をはそうの型式別形態ガウス曲線に黒線(Z374)で描いた。これらより、布留遺跡の豊井地区出土のはそうの型式は、Hen-No1~2(
左上1-4,右上1-3,左下1-6,右下1-2)でTK232又はTK73(Ⅰ-1前・後)と判定することができ、学者の判定をより狭く絞り込んでいる。

Z374.

 

Z375-1.TK208はそう.png大阪府和泉市のいずみの国歴史館では、令和元年度夏季特別展「“須恵器2”―泉北丘陵窯跡群の軌跡―」を開催した。この時のポスターにTK208窯出土のはそうの写真(Z375-1)があった。TK208窯は、考古学者の多くが須恵器の型式の同定に用いている田辺昭三氏の編年の標式窯である。このはそうの資料は平安高校が所蔵のものであった。何故、京都の高校が泉北丘陵窯跡群の須恵器を所蔵しているのか不思議に思えたので調べてみると、須恵器の編年で有名な田辺昭三氏が同校で教鞭を採っておられたことを知り納得できた。

 

私がガウス曲線を描くために用いた須恵器の図面は、中村浩氏が著作および編纂した本から引用している。同氏の本には田辺昭三氏の編年の標式窯の須恵器の図面は、初期のTG232窯・TK73窯以外は載っていない。そこで、いずみの国歴史館のポスターにあったTK208窯出土のはそうの写真より各部位の座標を取り、ガウス曲線によるはそうの型式判定が正確か検証した。Z374の赤線の結果はHen-No3または4(4-6,3-4,1-6,1-3)で、TK216(Ⅰ-2)またはTK208(Ⅰ-3)となり、TK208に絞れなかった。これらは形状が似ているのであろう。

Z375,はそうMT15.jpg
田辺昭三氏著作の『須恵器大成』には、MT15号窯から出土したはそう(Z375-2)の写真が掲載されてあった。この写真から得た指標がZ374の青線であり、Hen-No7(7-12,6-7,6-7,6-7)で、4図共に満足されるのはHen-No7のMT15(Ⅱ-1)で、田辺氏の編年と一致している。ガウス曲線によるはそうの型式判定は正確であった。


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