SSブログ

67-22.桜井茶臼山古墳の築造年代は270年 [67.古墳時代は前方後円墳の時代]

初瀬川が奈良盆地に流れ込み大和川と名を改める桜井市外山、「磐余」の地の北東端の外れに桜井茶臼山古墳がある。桜井茶臼山古墳は墳長207m、後円径110m、前方幅61mの柄鏡形の前方後円墳で、後円部には主軸に沿って竪穴式石室があり、石室は全長6.8m、幅1.3m、高さ1.7m、天井石は12枚である。竪穴式石室の上には、南北約11.7m、東西約9.2m、高さ約1m未満の方形壇があり、方形壇上の周囲には二重口縁壺が置かれていた。また、方形壇は直径30cm程度の丸太垣約150本で囲まれていたようだ。

 

Z328-Z329.桜井茶臼山古墳.png

竪穴式石室は板状の安山岩を積み上げ、その石材は全面水銀朱が塗られており、水銀の使用量は200Kg程度と推定され、国内の古墳では最大である。石室は盗掘を受けていたが、コウヤマキの木棺が据えられており、副葬品は鏡・玉製品・石製品・武器・利器の断片のみがあった。鏡は三角縁神獣鏡26面を含む81面が確認されている。鏡片の中に「是」の文字があり、3次元レーザー計測の結果、群馬県高崎市の蟹沢古墳出土の「正始元年」銘の三角縁神獣鏡と同じ鋳型から造られていることが分かった。正始元年(240年)は邪馬台国の女王・卑弥呼のもとに魏の使者が訪れた年である。桜井茶臼山古墳から碧玉製の玉杖が4本分出土しており、それはメスリ山古墳出土の4本の碧玉製玉杖と同じ鉄芯で連結された構造である。石製装飾品では石釧・車輪石・鍬形石があり、武器では鉄剣・鉄鏃・銅鏃が出土している。桜井茶臼山古墳には副室が2ヶ所あることが分かっているが未発掘である。メスリ山古墳では副室から多くの副葬品が出土しており、桜井茶臼山古墳の副室の副葬品にも期待される。

 

桜井茶臼山古墳の特徴は、墳丘に飾られたものが特殊器台や埴輪ではなく、二重口縁壷である点である。二重口縁壷にも色々なタイプがあるが、茶臼山型と称される二重口縁壷は、口縁の屈曲部がラッパのように外側に開き、太く短い頸部を持ち、製作時から底部に孔をあけている特徴を持っており、これと同じものが箸墓古墳の前方部から出土している。明治大学名誉教授の大塚初重氏は「箸墓古墳の後円部の特殊器台と前方部の埴輪(二重口縁壷)には、考古学的な時間差がある。まず、後円部で埋葬時に吉備の土器が供献され、5年か10年後、前方部で埴輪を置き墓前祭のような葬送儀礼が行われていたのではないか。」と指摘している。大塚氏の指摘に従えば、箸墓古墳の築造年代を260年としたとき、前方部から出土した茶臼山型二重口縁壷は270年頃に供献されたものであることになる。

 

桜井茶臼山古墳は二重口縁壺(270〜369年)、石製装飾品(270〜379)から前期の古墳と判定できるが、築造年代決定の決め手がない。桜井茶臼山古墳から1.7km離れたメスリ山古墳と比較すると、墳形はどちらも柄鏡式、副葬品の種類はその数量を別にすると似かよっている。メスリ山古墳の築造年代は、埴輪Ⅱ式(280〜339年)と佐紀陵山古墳(290年)の方形壇の構成比較から280年と比定した。これを基準とすると、桜井茶臼山古墳の後円部にある方形壇を取り囲む構造(二重口縁壷列+丸太垣)が、メスリ山古墳の円筒埴輪列より古く考えられ、桜井茶臼山古墳の築造年代270年と比定することが出来る。


nice!(2)  コメント(0) 

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。