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67-9.古墳の編年の年代観は正しいか? [67.古墳時代は前方後円墳の時代]

『全国古墳編年集成』(石野博信編・1995年・雄山閣出版)には、日本列島の主要古墳の編年が、旧58ヶ国を51名の執筆者によって網羅されている。この本に掲載されている前方後円墳と、私の編年で年代幅が30年以内であった前方後円墳とを付き合わせると、296基の年代を比較することが出来た。なお、『編年集成』の古墳の年代は、前方後円墳の図のくびれ部の年代とし、私の編年の年代は年代幅の中央値とした。図Z309の横軸は私の編年による前方後円墳の年代で、縦軸は『編年集成』記載の年代である。

 

Z309.古墳編年比較.png45度の黒線は、私の編年と同じ年代観であることを示している。青丸の分布と黒線を比較すると、黒線は460年頃を境として、それ以前は分布の下限にあり、以後は分布の中心であることが分かる。460年は允恭天皇が崩御した年で、それ以前の『書紀』の編年は歴史を延長していると考えられる期間であり、それ以後は『書紀』の編年と歴史が一致していると思われる期間である。前方後円墳の始まりを大和王権の始まり捉えたとき、私の編年は大和王権の始まりを古く捉えている考古学者に近いということになる。

 

図Z309の赤線はPython(パイソン)というAI(人工知能)などを作るプログラムで計算した回帰直線(中心的な分布傾向を表す直線)である。回帰直線の右端は古墳時代の終焉を示し、『編年集成』も私も590年頃とほぼ近い。回帰直線の左端が前方後円墳の始まりを示す年代で、最古の大型前方後円墳である箸墓古墳の年代でもある。私の編年では260年で、『編年集成』では320年となっている。

 

2009年5月の考古学協会総会で国立民俗博物館(歴博)は箸墓古墳周辺から出土した土器に附着した炭化物を炭素14年代測定により、箸墓古墳の築造年代が240年から260年であると発表している。『全国古墳編年集成』が発行された1995年は、歴博が箸墓の年代を250年±10年と発表する14年前である。赤線は、この頃考古学者は箸墓の年代を320年頃と考えていたことを示している。歴博が箸墓の築造年代を発表した時の考古学会の総会は紛糾したようで、研究者にとっては“激震”であったことが図の赤線からも想像できる。発表から10年経つが、古墳時代の始まりを3世紀中ごろまで繰り上がることは認められてきたようだ。


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