66-13.阿蘇リモナイトは弥生時代に製錬されたか [66.弥生時代に製鉄はなされたか?]
2012年の日本考古学協会福岡大会の第1分科会「弥生時代後半期の鉄器生産と流通」の報告書の最後に、「弥生時代の鉄製錬に関しても熊本県阿蘇周辺の弥生時代後期に鉄器を大量に出土する遺跡が、リモナイトの分布地域と一致することなどは事実として指摘できるが、直接両者を結びつけることのできる遺跡はまだ確認できていないなど、今後の研究の方行性はある程度絞ることのできたシンポジウムではなかったかと考えられる。」とある。
阿蘇の外輪山に囲まれた阿蘇カルデラは中央の火口丘により2分され、その北半分は阿蘇谷と呼ばれる旧湖底平野である。この阿蘇谷の狩尾地区からは阿蘇リモナイトと呼ばれる褐鉄鉱の一種の湖沼鉄が産出する。戦時中はこの阿蘇リモナイトが八幡製鉄に送られ、製鉄の原料にされたそうだ。現在でも露天掘りの鉱床があり、阿蘇リモナイトを採っている。阿蘇リモナイトを焼けばベンガラになり、狩尾地区にある弥生の湯口遺跡・下扇遺跡からは多量のベンガラが出土している。岡山大学の辻広美氏の「古代遺跡出土ベンガラの材料化学的研究」によると、湯口遺跡・下扇遺跡から出土した鮮やかな赤黄色の色調のベンガラを得るためには、阿蘇リモナイトを900℃で加熱し、水簸処理をしなければならないそうで、阿蘇谷に住んでいた弥生人の技術力を窺がわせる。
一方、狩尾地区にある7ヶ所の弥生遺跡からは多量の鉄器が出土している。下扇原229点、小野原A22点、池田・古園82点、前田3点、方無田17点、湯ノ口101点、下西山84点の総計538点である(鉄片・塊を除く)。1998年に「弥生時代鉄器の研究」を発表した川越哲志氏は、弥生時代の鉄器出土遺跡は、1,800遺跡、鉄器数は約8,000点としている。阿蘇谷狩尾地区の北東―南西8km、北西―南東2kmの狭い範囲から、弥生時代に全国から出土した鉄器の6.7%が出土している。これは異常であり、製鉄(製錬)が行われていたと考えなければ理解できない。しかし、考古学会は証拠が無いとそれを認めていない。また、下西山遺跡の鉄器片を分析した大澤氏は、鉄器は非金属介在物の少ない鍛造品で、素材原料はチタン・ジルコニウムが含まれていない鉱石系で、素材産地は大陸の可能性が強いとしている。
阿蘇リモナイトの成分(日鉄リサーチ、岡山大学、リモナイト工業の平均値)と前章「イギリスの鉄滓分析」で鉄滓と同伴した湖沼鉄の鉱石(6ヶ所15点の平均)の成分を比較した。
T・Fe SiO2 Al2O3 CaO MgO P2O5 MnO TiO2
阿蘇リモナイト 62.47 8.08 4.38 1.93 0.46 0.72 0.06 0.05
イギリス湖沼鉄 41.08 19.64 4.67 1.26 0.47 1.04 0.68 0.28
阿蘇リモナイトの方のT・Fe成分が高く、その分SiO2成分が低いという結果で、後の成分は良く似ている。阿蘇リモナイトを原料として、製錬が行われていてもおかしくない。もし製錬が行われていたとすれば、(CaO+MgO)はイギリス湖沼鉄より少し大きいが、(MnO+TiO2)の値が少し小さいため、その鉄滓はイギリスの紀元前の製錬滓と同じように、精錬鉄滓の領域に入って来るかもしれない。
狩尾地区にある3ヶ所の弥生遺跡からは鉄滓が出土している。湯ノ口148点、池田・古園1点、下扇原1点である。しかし、その成分の分析結果が報告されているものは何故だか1点もない。分析されているが報告されていないのか、分析されていないのかわからないが、弥生時代の製鉄を証明するには、阿蘇谷から出土する鉄滓だと思っていただけに残念なことだ。
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