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64-6.年代が決められなかった17基の古墳 [64.古墳の年代をエクセルで決める]

古墳年代決定プログラムでもって、3294基の古墳の年代を決定した。これらの古墳の内、遺構・遺物の年代に矛盾があり、古墳年代を決定できなかったのは17基のみであった。ただし、須恵器については横穴式石室の追葬、墳上祭祀、周濠・墳丘への混入など後世のものが遺物として多く出土している。副葬品よりも後世と思われる須恵器はコンタミとして省き、複数の型式の須恵器が出土している場合は一番古い型式のものを採用し、年代の検定に矛盾が起こらないようにしている。遺構・遺物の年代に矛盾が生じた17基の古墳について、その原因別に分類し表Z237に示した。Z237.年代未決古墳.png

「舶載異常」は、副葬品として普及する以前に海外から持ち込まれたものと考えられるものである。新山古墳(葛城郡広陵町)から出土した透彫りした金銅製帯金具は、中国西晋時代(265~316年)のものと類似性が強いとされており、5世紀以降に普及した帯金具とは別のものと見られている。帯金具を除くと新山古墳の年代は、倭製三角縁神獣鏡のⅡ段階と(320~399年)と埴輪Ⅰ式(290~319)の関係から315~325年となり、西晋の帯金具とする見解と合致する。

 

「遺物混入」とは、本来その古墳の副葬品でない後世のものが、副葬品として混入したものである。平尾城山古墳の金銅環は前節のZ236に示したように金銅環(95)と埴輪Ⅰ式(27)に年代の矛盾があった。金銅環は学術調査がなされた以前の出土品で、「遺跡ウォーカー」にも「一括性・出土地など疑問が残る。」との記載があり、「遺物混入」と考えた。副葬品として普及する以前に海外から持ち込まれた「舶載異常」とも考えられる。

 

「新旧混合」の川井稲荷山古墳(佐波郡玉村町)は、埴輪Ⅰ式を有する前期の古墳の上に、埴輪Ⅴ式を有する後期の古墳が築造されたもので、前期古墳は竪穴系の石室で三角縁神獣鏡が出土し、後期古墳は両袖式横穴式石室で馬具の轡が出土している。

Z238.帆立貝式.png同名別種」に掲げた弁天塚古墳(橿原市)は、帆立貝式前方後円墳の墳形と宮山特殊器台形埴輪・都月型埴輪が矛盾したものである。Z238は前方後円()墳と帆立貝式前方後円()墳の墳形を比較した。縦軸は後前高差(前方高さー後円部高さ)で、横軸は前方長(墳長ー後円径)を墳長で割った値である。前方長/墳長が0.4を越しているのも帆立貝式とされており、また0.3以下であるのに帆立貝式になっていないものもあり、帆立貝式の定義が曖昧であることが分かる。帆立貝式と呼べるのは前方長/墳長が0.33未満くらいではないかと思える。弁天塚古墳は墳丘が消滅しており、正確ではないが墳長が60m後円径は40mで、前方長/墳長は0.33程度であり、帆立貝式の範疇にはかろうじて入っている。矛盾原因である帆立貝形を取り除くと、弁天塚古墳の築造年代は最古の大型前方後円墳とされる箸墓と同じ260~289年であり、帆立貝式と称するよりは、前方後円形をなす弥生墳丘墓(纏向型前方後円墳)の延長と捉えた方がよいと思う。


「伝世」という言葉は先祖から受け継いだ遺品という意味で鏡によく使われるが、ここでは前世の遺物が何らかの要因で後世の古墳に副葬品として供えられたことも意味している。三玉大塚古墳(三次市)は朝顔形埴輪Ⅳ式、人物埴輪、横矧板鋲留短甲、馬具、須恵器のTK208が出土することより、中期の古墳であることは間違いない。しかし、前期古墳の副葬品である筒形銅器が1個出土している。「遺跡ウォーカー」で収集できた筒形銅器がする古墳は33基であるが、その内前期古墳以外で出土したのは三玉大塚古墳のみである。三玉大塚古墳に筒形銅器が副葬された原因が伝世かどうかは分からない。筒形銅器を除くと、三玉大塚古墳の年代は、須恵器のTK208より440~459年となる。

城山1号墳(香取市)は三角縁神獣鏡(260~399年)と横矧板鋲留衝角付冑(400~499年)と年代の違う二つの遺物が矛盾の原因となっている。私の古墳リストでは三角縁神獣鏡が出土した古墳は舶載と倭製(仿製)合わせて147基である。その内、前期古墳以外で出土したのは金鶏塚古墳(瀬戸内市)と城山1号墳の2つの古墳のみである。横矧板鋲留衝角付冑は、その製作技法が同じである横矧板鋲留短甲と同時に5世紀末で消滅したと考える。両者のどちらかが出土した古墳は22基であるが、6世紀になって出現する遺物、双龍環頭大刀・捩り環頭大刀・圭頭大刀・円頭大刀・頭椎大刀・須恵器(TK10MT85TK43TK209・平瓶)と共伴した古墳は城山1号墳のみである。城山1号墳の年代は三角縁神獣鏡と横矧板鋲留衝角付冑を除くと、TK43より550~579年となる。

「判定」に掲げた塚の越古墳は須恵器の型式で、妻塚古墳は埴輪の型式で、割地山古墳は短甲の品目で年代の矛盾を起した。これらの古墳については、「遺跡ウォーカー」にもその型式や品目に疑問符が付いており、古墳年代決定プログラムが“正直”であることを物語っている。紫金山古墳の埴輪型式については次節で詳しく述べてみたい。

 


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