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63-4.『書紀』の編年は3期に分かれている [63.『日本書紀』の編年をエクセルで作る]

Z216-2.日本書紀の編年.png表Z216の記事記載率(記事数/在位)で見ると、安康紀を境に大きく変化していることが分かる。言語学者の森博達氏は、『書紀』の言葉と表記(音韻・語彙・語法)を分析し、全30巻をα群・β群・巻30に三分した。神武紀から安康紀はβ群に属し、雄略紀から崇峻紀はα群に属している。天文学者の小川清彦氏は、『書紀』に記載された暦日は、神武紀から安康紀までが新しい「儀鳳歴」で書かれ、雄略紀から持統紀までが古い「元嘉歴」で書かれているとしている。記事記載率、言葉と表記(音韻・語彙・語法)、暦日のいずれも、『書紀』は安康紀を境に表記の仕方が異なっている。

 

記事記載率から見ると、1代の神武天皇から9代の開花天皇までの9代の天皇は15%以下(平均9%)で、10代の崇神天皇から19代の允恭天皇までは、成務天皇の12%と履中天皇の100%を除く9代の天皇・皇后では22%~56%(平均36%)、20代の安康天皇から40代の持統天皇までの21代の天皇では72%以上(平均95%)であり、明らかに3期間に分かれている。

 

私は1代の神武天皇から9代の開花天皇までを歴史(編年)が創作された時代、10代の崇神天皇から19代の允恭天皇までが歴史(編年)が延長された時代、20代の安康天皇から40代の持統天皇までは歴史(編年)が史実のまま(潤色はあるが)書かれた時代と考える。なお、神武天皇の記事記載率は8%であるが、磐余彦尊が日向から東征に出発した年に「太歳甲寅」の記載があり、乙卯の年に吉備国に入り、戊午の年に東に向け出発し、己未の年に長髄彦を討伐し、庚申の年に正妃を立てたとある。そして、辛酉の年に橿原宮で即位し神武元年を迎えている。日向出発から即位までの7年間のうち5年間に記事の記載があり、記事掲載率は71%である。神武天皇は実在し、歴史(編年)が延長された天皇であると考える。


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