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63-2.「日本書紀、全文検索」からデータ抽出 [63.『日本書紀』の編年をエクセルで作る]

Z214.日本書紀全文検索.pngエクセルに「皇紀」「西暦」「干支」の準備が出来ると、D列「年号」、E列「天皇」、F列「元年/崩御」、G列「年齢」、H列「記事有」の表題を記入する。D列「年号」の2行に数値の「1」を、3行に「=D2+1」とインピットし、これを1358行までコピーしておく。『書紀』は天皇の元年の記事の最後に「太歳○○」と干支が書いてある。天皇の在位年数は天皇崩御の年の年号となる。この「元年の太歳干支」と「天皇崩御の年号」を頼りに編年を行う。ウエブサイトの「日本書紀、全文検索」に入り、表題にある各天皇の巻を呼び出し、先頭にある「このページを検索」に「元年」を書き込み検索する。その後「太歳」「崩」「年」の順に文字を書き込み検索すると、これらの文字に黄色のマークが着く。

 

神武天皇(3巻)では、「元年」のマークを探すと、元年の記事の最後には「太歳○○」が無い。記事先頭に「辛酉年春正月」とあり、干支は「辛酉」と分かる。因みに「太歳○○」の干支は東征出発の年に書かれてある。「崩」のマークは最後の記事にあり、神武天皇が崩御したのは76年であり、年齢は127歳と分かる。E列2行に「神武天皇」と記入し、年号が76年までコピーする。年号1年のF列に「元年」を、年号76年のF列に「崩御」、G列に「127」と記入する。H列「記事有」の記入は「年」のマークを頼りに元年から始める。神武天皇の巻では、「元年、2年、4年、31年、42年、76年」に記事が書かれてあるので、それぞれの年号のH列に「1」を記入する。

 

Z215.書紀のデータ.png綏靖天皇から開花天皇(4巻)では、綏靖天皇の元年の太歳干支は「庚辰」であり、33年に84歳で崩御したことが分かる。神武天皇崩御の4年後の皇紀80年に「庚辰」の干支があるので、その行のD列年号に「1」を記入、E列に「綏靖天皇」と記入し年号33年までコピー、年号1年のF列に「元年」を、年号33年のF列に「崩御」、G列に「84」と記入する。皇紀77・78・79年は空位であることが分かるので、E列の天皇名は「空位」と記入し、D列の年号をスペース(空白)にする。綏靖天皇では、「元年、2年、4年、25年、33年」に記事が書かれてあるので、それぞれの年号のH列に「1」を記入する。4巻では綏靖天皇から開花天皇までの8代の天皇の項目がインプットできる。

 

崇神天皇の5巻から持統天皇の30巻まで、同じ作業を繰り返す。異常事項を下記に列記した。「元年」のマークは通常記事の先頭に出てくるが、神功紀では「是年也、太辛巳、則爲攝政元年」と「元年」が記事の最後に出てくる。雄略天皇の元年太歳の干支が写本の記載ミスの通りの「大丁酉」となっており、検索のマークが着いていない。安康天皇と崇峻天皇は暗殺されたので「崩」マークが出てこないが、データには「崩御」と記入している。

 

『書紀』に登場する天皇で譲位されたのは、皇極天皇と持統天皇である。皇極4年の「乙巳の変」で蘇我氏が滅び、皇極天皇が譲位し孝徳天皇が即位している。孝徳天皇の元年(大化元年)の太歳干支は「乙巳」で、皇極4年と重なっている。データ処理上厄介なので、皇極3年のF列に「譲位」と記入し、皇極天皇の在位は4年間とメモを残しておく。持統天皇の譲位は『書紀』の最後の記事であり、データ処理上問題はない。孝徳天皇では在位の途中に「白雉」と、天武天皇では「朱鳥」に改元が行われている。『書紀』は改元の年の干支を書いていないのが、白雉元年は大化5年の翌年、朱鳥元年は天武14年の翌年と編年する。『書紀』は元号を表示しているため、在位中に改元があった場合は、崩御した年の年号が在位年数を表わさない。孝徳天皇の在位は10年間で、天武天皇の在位は15年間であるとメモを残しておく。

 

天皇の即位は、元年に即位するのが普通であるが、前天皇が崩御した年に即位し、その翌年が元年となっている事例は多くある。また、天智天皇・持統天皇のように称制(即位せず政務を執る)の期間があり、即位が元年より数年遅れることもある。天武紀には元年(28巻)に太歳干支の記載がなく、また「即位」「即天皇位」の言葉も無い。2年(29巻)の記事の最後に「是年也、太癸酉」とある。元年(壬申:672年)は壬申の乱により大海人皇子(天武天皇)が大友皇子(天智天皇の長子)を破り、政権を獲得した年である。天武2年の8月の記事に「天皇、新平天下、初之卽位」とあり、天皇が即位したのは2年のようである。明治3年に大友皇子を弘文天皇と追号したため、天武元年を癸酉(673年)とし、天武天皇の在位を14年間とする年表もあるが、私は『書紀』の記載の通り、天武天皇元年は壬申(672年)としている。

 

各天皇の年号は記事の先頭にあるので分かりやすいが、特に景行紀の日本武尊が能褒野で亡くなった記事では、記事の最後に「是也、天皇踐祚卌三年焉」(天皇が皇位につかれて43年の年なり)とあり、最も見落とし易い年号である。また、記事が短いときは、前年の文章に引き続き書かれているので年号を見落とし勝ちである。允恭10年、仁賢4年・5年、武烈3年・6年、継体18年、欽明28年、敏達8年・9年、舒明7年などがこれらにあたる。データのインプットが終われば、コピーしてSheet2に「値」のみ貼り付ける。ウエブサイトの「日本書紀、全文検索」からデータ抽出する作業は、集中すれば1日、ボチボチすれば3日の作業である。実際に挑戦していただければ、『書紀』が緻密に編年されているのを感じていただけると思う。


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