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60-5.終末の前方後円墳を探す [60.古墳時代の終焉]

前方後円墳が600年には終焉を向かえるとすると、終末(古墳時代後期後半)の前方後円墳はどれであろうか。終末の前方後円墳はTK43あるいはTK209の須恵器を出土する古墳となるが、古墳から出土する全ての須恵器の型式が分っているわけでもない。そこで、後期古墳および終末期古墳から出土する須恵器の器種(提瓶・平瓶・長頸壺・台付長頸壺)について、須恵器の型式別に層別した。また、飛鳥時代(TK217古・飛鳥Ⅰ新)から登場した、宝珠つまみ付き杯(G杯)の原型となった銅椀も調べ表Z163にまとめた。ひとつの古墳から複数の型式の須恵器が出土している場合、型式が離れている場合は古い型式に層別し、前後する2型式が出土している場合は、その数を0.5に按分して層別している。

Z163.須恵器と銅椀.png表163において、台付長頸壺が墳時代後期後半の指標となることは明らかである。平瓶のTK10/MT85にある2個はMT85でありTK43に近いものと判断し、平瓶を古墳時代後期後半の指標とした。銅椀のMT15は佐賀県唐津市の島田塚古墳、TK10は熊本県宇城市の国越古墳、奈良県天理市の星塚2号墳のものである。この3例は一般的に銅椀が普及する以前に、朝鮮半島から入手したもので例外として、銅椀を古墳時代後期後半の指標とした。また、古墳時代後期後半や終末期古墳には切石を使った横穴式石室が登場する。切石積みの横穴式石室を指標とした。全国の前方後円墳をTK43・TK209・平瓶・台付長頸壺・銅椀・切石の要素でシービング(篩い分け)をすると、147基の古墳後期後半(6世紀後半)の前方後円墳が明らかになった。

近つ飛鳥博物館の『考古学からみた推古朝』には、畿内と東国の終末の前方後円墳が記載されているが、末尾の表164にはそのほとんどが網羅されている。表164で古墳後期後半の前方後円墳を府県別でみると、関東・東北では福島3、栃木7、群馬14、茨城5、千葉25、埼玉7、東京1、神奈川1、東海・中部・北陸では愛知5、長野1、福井2、近畿では三重4、滋賀3、京都2、奈良18、大阪8、兵庫4、和歌山2、中国では岡山6、広島1、鳥取県10、四国では香川1、愛媛4、高知1、九州では福岡7、佐賀3、大分1、宮崎1である。

古墳後期後半の前方後円墳が都道府県で最も多いのが千葉県の25基で、要素としては平瓶が9基、TK209が7基、切石積が7基、銅椀4基である。(ひとつの古墳で重複しているものもある。)第2位が奈良県18基で、TK43が12基、台付長頸壺5基である。第3位が群馬15基で、切石積5基、銅椀5基である。一概には言えないが概ね、奈良県(大和)ではTK43(550年~580年)の時代に、千葉県(上総・下総)ではTK209古(580年~600年)の時代に前方後円墳の築造が終焉を向かえたのであろう。

北関東(東国)に古墳後期後半の前方後円墳が多いのが気になるところである。北関東の前方後円墳から銅椀が多く出土するのは、仏具として舶載あるいは生産された銅椀が、威信財として大和王権から北関東の豪族に配布されたものであると考える。近畿においては、銅椀は仏具として用いられ、古墳の副葬品となることは少なかったのであろう。北関東では古墳後期後半には、栃木は凝灰岩、群馬は凝灰岩と角閃石安山岩、千葉は砂岩の軟質石材の切石積横穴式石室が登場している。近畿で切石造りの横穴式石室は花崗岩・閃緑岩等の硬質石材で造られている。前方後円墳の埋葬施設が切石造りであるのは、天理市の岩屋大塚古墳のみであるが、前方部の羨道が残っているだけで、後円部にある石室と前方部石室にある石室は破壊されており、定かな資料ではない。近畿の切石造り横穴式石室が登場するのは、前方後円墳が終わった終末期古墳からと言える。なお、近畿で凝灰岩等の軟質石材での切石積で造られたのは、高松塚古墳・キトラ古墳に見られるように横口式石槨であり、花崗岩による切石造り横穴式石室の後の時代となる。

Z164.終末前方後円墳関東.png
Z164.終末前方後円墳関西.png

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