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52-2.「ワカタケル大王・辛亥の年」は雄略天皇 [52.雄略天皇から継体天皇までの編年を解く]

雄略天皇の和名は『古事記』が「大長谷若建命」、『日本書紀』が「大泊瀬幼武尊」で、「おおはつせわかたけるのみこと」である。熊本県玉名郡の江田船山古墳から出土した鉄剣の銀象嵌、埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した鉄剣の金象嵌には「獲加多支鹵大王」の銘があり、「ワカタケル大王」と読めることから、雄略天皇を指していると考えられている。雄略天皇の陵の古墳年代が不明であっても、江田船山古墳・稲荷山古墳の年代が分れば、雄略天皇の活躍していた時代が考古学的に分かる。「縮900年表」によると雄略天皇の治世は、464年から486年である。

Z59.江田船山古墳.png熊本県玉名郡の江田船山古墳は編年の要素としての、造出し・横口家形石棺・円筒埴輪Ⅴ式・馬形埴輪・横矧板革綴短甲・横矧板鋲留短甲・馬具・須恵器が出土している。江田船山古墳の築造年代は、消滅する要素としての「横矧板革綴短甲」「横矧板鋲留短甲」と、新たに登場する要素の「円筒埴輪Ⅴ式」の出会いから、460~469年と定めることが出来る。横口家形石棺から出土した須恵器の型式は議論が定まらないが、周濠からはTK23とTK47の両者(470~489年)が出土しており、古墳築造直後のもとと思われる。江田船山古墳は略天皇の治世(464~486年)の初め頃に築造されたと考えられる。

Z-60.埼玉稲荷山古墳.png埼玉県行田市にある稲荷山古墳の墳頂には、粘土槨と礫槨の埋葬施設があり、粘土槨は盗掘を受けていたが、礫槨から金象嵌鉄剣や挂甲・馬具が出土している。墳丘にある円筒埴輪Ⅴ式で人物埴輪も出土しており、造出しから出土した須恵器はTK23・TK47と判定されている。稲荷山古墳の粘土槨は後円部中央の前方部よりに横たわってあり、礫槨は後円部中央から外れた位置に、粘土槨と直角に設置されている。粘土槨が第一主体で、礫槨が粘土槨より後に造られた第二主体と考えられる。稲荷山古墳の築造年代は、造出しから出土した須恵器はTK23とTK47の共存から470~489年と定めることが出来る。

Z-61.稲荷山鉄剣.png稲荷山古墳の礫槨から出土した金象嵌鉄剣には「辛亥の年7月中に記す、ヲワケの臣、上祖名はオホヒコ、其の児・・(5代の名)・・其の児名はカサハヨ、其の児名はヲワケの臣、世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る、ワカタキロ大王の時()、シキの宮に在る時、吾天下を佐()治し、この百錬鉄の利刀を作らしめ、吾が奉事の根源を記すなり」とある。辛亥の年は471年と考えられている。稲荷山古墳は粘土槨に葬られた「カサハヨ」のために造られた古墳で、礫槨に葬られたのが金象嵌鉄剣を作った息子の「ヲワケ」と考えることが出来る。稲荷山古墳が470~489年に造られ、金象嵌鉄剣が471年に作られたとしても何の齟齬もない。「ワカタケル大王」と読める銘のある象嵌鉄剣が出土した江田船山古墳・稲荷山古墳の築造年代は、雄略天皇の治世(464~486年)の間であり、考古学から見ても「縮900年表」は、信頼に値するものである。


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