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43-7.応神陵古墳の年代 [43.古墳年代の確定と古墳時代の解明]



K58応神陵古墳.png古市古墳群の応神陵古墳(誉田御廟山古墳)は、仁徳陵古墳に続く全国第2位の規模を持つ古墳である。応神陵古墳の円筒埴輪には黒斑がなく窖窯(あながま)で焼成されたⅣ式で、馬型埴輪も出土している。
埴輪以外には年代を決める出所が確かな遺物は出土していない。外堤よりTK73型式の須恵器片が出土しているが、応神陵古墳と結びついたものであるか信頼性に欠けるようだ。応神陵古墳の年代は、その陪塚から導き出しすしか手がないようだ。




宮内庁は応神陵古墳の近くにある墓山古墳を陪塚に治定している。墓山古墳は円筒埴輪Ⅲ式とⅣ式の両者が出土してあり、私が検定した古墳年代は395年~405年とる。墓山古墳の墳丘長は224mで全国第23位の規模であり、5つの陪塚を伴っていることから、考古学では応神陵古墳の陪塚ではないとされている。





K58蕨手刀子.png応神陵古墳の確実な陪塚にアリ山古墳がある。アリ山古墳は一辺45mの方墳であるが、80本以上の鉄剣、1500本を超える鉄鏃、1000点を超える農工具が出土している。私が注目するのは、アリ山古墳から156本出土した蕨手刀子である。蕨手刀子は30㎝以下の刀子で、持ち手の所が蕨のようにくるりと巻いている。これらが古墳から出土する例は少なく、私の知るところでは、複数本の蕨手刀子が副葬されているのは9古墳のみである。これら古墳の年代を表58に示す。蕨手刀子の副葬は4世紀後葉に集中しており、最多の蕨手刀子が副葬されたアリ山古墳の古墳年代は5世紀初頭と考えられる。





応神陵古墳の陪塚のアリ山古墳が5世紀初頭とすると、応神陵古墳の外堤より出土したTK73型式の須恵器片は、同古墳に関係するものと考えられ、応神陵古墳の古墳年代は400年~420年に比定できる。「2.日本書紀原典の再現」で示した年表によると、応神天皇の即位は361年、崩御は380年である。古墳築造の期間を考慮すると、応神天皇の崩御の年と応神陵古墳の古墳年代は矛盾のない範疇に入ると考える。




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