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43-2.「消滅」と「登場」の出合いで年代が確定 [43.古墳年代の確定と古墳時代の解明]

K52古墳年代.png古墳形態・埋葬施設・副葬品の組み合わせから、古墳の年代の決定を行なったが、その年代幅が10年以内(±5年)に年代が確定出来た古墳が71基あった。このようなピンポイントの年代が決まる要因は、古墳形態・埋葬施設・副葬品の要素の内、消滅する要素と新たに登場する要素の両方の遺物が同一古墳内から出土している事に起因している。例えば、三角縁神獣鏡と石製腕飾品は一部例外を除いて400年で消滅する。一方、馬具と須恵器は400年以降(一部は390年)に新たに登場する。三角縁神獣鏡・石製腕飾品と馬具・須恵器の両者が出土する古墳があったとすると、その古墳の年代は395年~405年(400年±5年)であると考える。「消滅」と「登場」の出合いで年代が確定出来た古墳は38基であった。
図K52にそれらを示す。

 

年代が320年前後と確定された古墳の消滅する要素は「円筒埴輪Ⅰ式」で、新たに登場する要素としては、京都の妙見山古墳は「筒形銅器」、寺戸大塚古墳と平尾城山古墳は「合子・琴柱形石製品」、岡山の花光寺山古墳は「長持式石棺」、長野の森将軍塚古墳は「形象埴輪」である。また、消滅する要素が「小札革綴冑」または「竪矧・方形板革綴短甲」であり、新たに登場する要素が「造り出し」であるのは岡山の金蔵山古墳、大阪の紫金山古墳、三重の石山古墳で、「刳抜・舟形・割竹形石棺」であるのが佐賀の熊本山古墳、大阪の久米田貝吹山古墳である。京都の丹後にある作山1号墳は消滅する要素が「組合石棺」で、新たに登場する要素が「造り出し」である。

 

K53九州式横穴石室.png年代が380年前後と確定された古墳の消滅する要素は「円筒埴輪Ⅱ式」「円筒埴輪Ⅱ~Ⅲ式」で、新たに登場する要素が「九州式横穴石室」である佐賀の谷口古墳、福岡の鋤崎古墳・丸隈山古墳・老司古墳である。これらの4古墳は初期の九州式石室を持つ古墳と考えられている。「九州式横穴石室」の登場は380年としているが、これでもって初期の九州式横穴石室の古墳の年代を決めるというのは、我田引水的で客観性に欠ける。新たに登場する要素の「九州式横穴石室」を除いて、初期の九州式石室を持つ4古墳について、出土した埋葬施設・副葬品の編年を比較し表53に示した。初期の九州式横穴石室を持つ古墳とされる谷口古墳・鋤崎古墳・丸隈山古墳・老司古墳の古墳年代は370~400年の範囲にあることが分かる。これらより「九州式横穴石室」の登場は380年とした。


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