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42-6.古墳1265基の年代を決定 [42.古墳時代の編年に挑戦]

コード編年表と古墳のコードからパソコンで瞬時に年代を決めるソフトが出来たことから、1265基の古墳の年代を導き出す作業に取り掛かった。これらの古墳の年代をパソコンソフトで決めて行く過程で、編年表の39要素の間に矛盾があれば、年代が決定出来ない古墳が出て来る。そのたびに編年表を修正して、初めからやり直すという作業を繰り返した。そういう事もあり、編年表の精度は高まったと自負している。

しかし、最終的に編年表から年代の計算が出来ない古墳が10基見つかった。千葉の城山古墳は横穴式石室で円筒埴輪Ⅴ式、須恵器TK43・TK209を副葬しており、古墳後期後半の古墳と考えられるが、古墳前期の副葬品である三角縁神獣鏡(同笵:椿井大塚山古墳)が共伴しており、ソフトでは年代が決められない。城山古墳の三角縁神獣鏡は、先祖代々伝世して来た鏡というより、どこかの古墳に埋葬されていた鏡を手に入れたのではないかと思われる。長野の新井原8号古墳は横穴式石室を持つが、倣製三角縁神獣鏡が出土している。古墳の情報が少ないので分からないが、たぶん城山古墳と同じような鏡の入手であろう。

k49城山古墳石室.jpgK50城山古墳鏡.jpg






広島の三玉大塚古墳は円筒埴輪Ⅳ式・人物埴輪・鋲留短甲・挂甲・馬具・須恵器TK208が出土しており、中期の典型的な古墳である。しかし前期の副葬品である筒形銅器を1個共伴しており、ソフトでは年代が決められない。編年表では、筒形銅器は円筒埴輪Ⅲ式(~400年)で消滅するとしている。中期以降の要素、円筒埴輪Ⅳ式・人物埴輪・鋲留短甲・挂甲・馬具・須恵器のどれか一つの要素と筒形銅器が共伴している古墳は、三玉大塚古墳以外には無い。この一例で筒型銅器がTK208(440~460年)まで存在したとすることは出来ない。三玉大塚古墳の筒形銅器の存在は分からない。


兵庫の白水瓢塚古墳は円筒埴輪Ⅰ式と人物埴輪が矛盾する。2003年9月の神戸市教育委員会の調査報告書を見ると、白水瓢塚古墳の横に3基の古墳が存在している。他の古墳の人物埴輪が紛れ込んだのではないかと思える。白水瓢塚古墳の粘土槨から石釧・車輪石が出土している。編年表からすると円筒埴輪Ⅰ式と粘土槨が接することから、315年~325年に比定出来る。2010年10月、大阪大学と宝塚市教育委員会は、長尾古墳から「国内最古(4世紀初め)の粘土槨を発見」と発表している。長尾古墳の円筒埴輪は詳細に観察されているが、Ⅰ式であるという決め手に欠いているようだ。それならば、今のところ白水瓢塚古墳の粘土槨が最古になるのではないだろうか。

K35須恵器編年表.jpg編年表では粘土槨は円筒埴輪Ⅳ式と共に消滅している。奈良の狐塚古墳の埋葬施設は粘土槨であるが、周濠から須恵器TK10が出土している。周濠の須恵器TK10は築造後に破棄されたものと考えられる。円筒埴輪の型式と須恵器の型式が合致しない古墳が5基ある。愛知の二子山古墳は円筒ⅤとTK216、滋賀の塚の越古墳は円筒ⅤとTK208、愛知の船山古墳はⅣ式+Ⅴ式とTK47~TK10、福岡の御塚古墳はⅣ式とMT15、福岡の兜塚古墳はⅣ式とTK209である。表35と照らしあわせれば、その矛盾がわかる。なお、TK209は表にないが、TK10→TK43→TK209となる。これらの矛盾は円筒埴輪の型式比定が間違ったのか、須恵器の型式比定が間違ったのか、それとも須恵器が混入したのか、いずれかに問題があるのであろう。

これら10基以外の全ての古墳の年代が決定出来た。編年表の実年代の精度は別として、少なくとも39要素の年代の相互間には矛盾がないと言える。年代が決定出来ても、古墳形態・埋葬施設・副葬品の組み合わせによっては年代の幅(○○年~○○年)が大きくなる。その年代幅が30年以内に決定出来た古墳が273基、その内71基の年代幅が10年以内であった。



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