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42-3.古墳の形態・埋葬施設の編年 [42.古墳時代の編年に挑戦]



K40円筒埴輪・石棺.jpg前方後円墳は古墳時代の当初から築造されているが、前期の中頃に前方と後円のくびれ部の片側、あるいは両側に、半円形もしくは方形の造り出しを設けた前方後円墳が出現する。この造り出しには、家形埴輪などの形象埴輪などが配置されてあり、祭祀が行われたと考えられている。この造り出しが出現するのは、表40に示すように、円筒埴輪Ⅱ式の時代からである。



K41造り出し.jpg造り出しのある円筒埴輪Ⅱ式の古墳としては、大阪3基・奈良2基・岡山2基・京都1基・三重1基・福井1基の10基がヒットした。Ⅱ式の時代に畿内からその周辺地域に広がったように思える。この内、三重の石山古墳からは小札革綴冑(Ⅱ式)と長方形板革綴短甲Ⅱ式が出土し、大阪の津堂城山古墳・盾塚古墳からは三角板革綴短甲Ⅱ式が出土している。円筒埴輪の型式は不明だが、竪矧板革綴短甲が出土した大阪の紫金山古墳には造り出しがある。造り出しは円筒埴輪Ⅱ式の終わりごろ出現したと考える。

K42帆立貝形古墳.jpg前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳は古墳時代の初めから出現しているが、帆立貝形古墳は円筒埴輪Ⅱ式の時代になって出現している。帆立貝形墳については、円墳に方形の造出しがついたものと、前方後円墳の前方部が短小化されたものとがあるそうだが、Ⅱ式の時代の帆立貝形古墳は、造り出しの出現期とほぼ同じであり、前者の方ではないかと考えられる。帆立貝形墳の円筒埴輪Ⅱ式の古墳としては、大阪の盾塚古墳、京都の鳥居前古墳・梅ノ子塚1号墳の3基がヒットした。この内、盾塚古墳、鳥居前古墳からは三角板革綴短甲が出土している。帆立貝形古墳で竪矧板革綴短甲・方形板革綴短甲が出土している古墳は皆無であり、帆立貝形古墳は円筒埴輪Ⅱ式の時代から始まったと言える。

古墳の埋葬施設には、竪穴式石槨・粘土槨・横穴式石室がある。竪穴式石槨は古墳時代に入って始まった埋葬形態で、古墳時代の初めから終わりまで存在する。竪穴式石槨には、高野槇の大木を二つに割り刳りぬいて作られる割竹形木棺が安置されている事が多い。この割竹形木棺を粘土で覆い、そのまま土壙に埋めてしまったのが粘土槨だ。木棺は朽ち果ててしまうので、粘土槨だけが落ち込んだ形で残っている場合が多い。

この粘土槨は表40に示すように、円筒埴輪Ⅱ式で始まり、Ⅳ式で終わっている。粘土槨の円筒埴輪Ⅱ式の古墳としては、大阪の和泉黄金塚古墳、奈良の東大寺山古墳、京都の瓦谷1号墳、岐阜の長塚古墳、山梨の岡銚子塚古墳などの10基の古墳である。この内、奈良の新沢500号墳、京都の垣内古墳・瓦谷1号墳は方形板革綴短甲を出土しており、粘土槨は円筒埴輪Ⅱ式の時代から出現したと言える。


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